イジワル副社長に拾われました。
「お先に失礼します。お疲れ様でした」

退社時刻になり、私は残っている人に声を掛けて、部屋を出た。

会社のビルを出て、白井さんから指定された待ち合わせ場所へ向かうため、地下鉄へと乗り込む。

待ち合わせの駅を告げるアナウンスが車内に流れ、電車を降りると、タイミングよく白井さんからのメールが届いた。

改札の出口で待っている、という文章に、心が躍る。

思わず駆け出しそうになる気持ちを抑えて改札へと向かうと、壁にもたれて私を待つ白井さんの姿が見えた。

私を視界にとらえた白井さんが、少し目尻を下げ、軽く右手を挙げる。

大抵はいつもの毒舌で私のことをからかってばかりの白井さんが、時々見せるこの優しい笑顔が、私は大好きだ。

「早かったんですね」

「ああ。打ち合わせ場所から近かったからな」

駅を出て、白井さんと並んで歩く。

ほんの数週間前には、横を並んで歩けるようになるなんて想像もしてなかったのに。

こうなること、悩んでたあの頃の自分に教えてあげたいな。

そう思ってクスッ、と笑い声をあげると、白井さんが不思議そうな目を向けた。

「琴乃?」

初めて白井さんから下の名前で呼ばれて、心臓がドキン、と大きな音を立てる。

「え? あ、はい?」

「何をそんなにびっくりしてんだよ」

「あ。いえ。あの、その」

「……俺たち付き合ってるんだから、名前で呼ばれたくらいでそんな驚かれると、こっちもびっくりするんだけど」

冷ややかな目線を私に向ける白井さん。

私は思わず肩をすくめ、「すみません」と頭を下げた。

「申し訳なく思うなら、お前も呼んでみたら?」

「え?」

「名前。知ってんだろ、俺の名前くらいは」

早く言え、と言わんばかりに、横から圧力がかかってくる。

「わ、航さん……」

照れくさくなって、最後は声が小さくなってしまった私を見て、白井さんは満足そうに微笑んだ。

「ちょうど到着だ」

航さんの視線の方向に目を向けると、そこにあるのは一軒家。

そういえば、今日どこへ行く予定だったのか聞いていなかったことに気づく。

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