どうしてほしいの、この僕に
 翌朝、私は迎えに来た姉とともにタクシーに乗っていた。今日はコマーシャルの撮影日なのだ。そう、私にとっては記念すべき再出発の日である。
「西永さんは業界でも型破りな成功を収めた人なのよ」
 姉は長めの前髪を指で梳きながら、いきなりプロデューサーの西永さんについて解説し始めた。私に故郷での出来事を報告させないために先手を打ったのではないかと訝しむが、さすがにそれは深読みしすぎか。
「彼、昔はとあるテレビ局の社員だったけど、自分のやりたいことができなくてやめちゃったのよ。それでインターネットに自作の動画をアップし始めて、話題になって、フリーでドラマやCMストーリーを企画作成する会社を立ち上げたわけ。なかなかやり手でしょ?」
「へぇ、それはすごい」
「興味なさそうね。でも相手を知るのは大事なことよ」
 姉のいうことはもっともだ。渋々頷くと、姉は顎を上げ、得意そうな顔をした。
「守岡くんを最初に起用したのも西永さんなの。彼に気に入られるのは成功する近道よ」
 つまり西永さんに取り入り、仕事をもぎ取れ、と?
 それって社長命令!?
「そうかもしれないけど、私にはハードルが高いな」
 率直な意見を述べてみたのだが、姉は「あら」と意外そうに私を見た。
「簡単よ。断らなければいいの」
「だけどもし変な関係を強要されたらどうするの?」
 タクシーの車内なので声を潜めたが、姉は事もなげに言う。
「ま、それもいい人生経験ってことで」
「冗談じゃないわ!」
 憤慨する私の横で、姉がプッとふき出した。
「冗談よ、じょーだん。でも西永さんの要求には全力で応えてちょうだい。仕事ですからね」
「うん。やってみる」
 仕事に関してはぎりぎりまでがんばるつもりだけど、人に気に入られる努力までできるだろうか、この私に。
 ふと脳裏に姫野明日香の顔がちらついた。
 彼女なら、相手が誰であろうと積極的にアピールしていくんだろうな、なんて考えがよぎる。すると突如、焦燥感が稲妻のように全身を駆け抜けた。
 ——なんとしてでも仕事を成功させなくては!
 姫野明日香と同じようにはできないし、する必要もない。
 だけど私らしく、私の方法で成功させなければ、それはただの負け惜しみだ。
 ——できるかな、私に。
 ——いや、絶対やらなきゃならないんだ。私には次がないのだから。
 座席のシートに後頭部を任せる。それから静かに目を閉じ、成功のイメージを思い描くことに専念した。
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