【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を

天と地の狭間で少女が見ていたもの

 ――かつての彼女は広い庭の先へ立ってよく地上を見下ろしていた。
 隣に立っている漆黒の男とは、ほとんど口をきくこともなく数日間をそこで過ごす。
 その光景を遠くから見ていた青年は、ふたりの間に割って入ることのできない繋がりのようなものを感じていた。

 幾日も過ぎたある日、珍しく無表情な男がこちらに歩いてきた。彼女の傍にいるときの男は微かに感情が読み取れるくらいの表情はあったが、その場を離れたとたん、無表情な彫刻のような人間と化す。
 しかしこの日は、物言いたげな紫水晶(アメジスト)の瞳がこちらを探るように一瞥し、青年の前で足を止めた。
 すると、青年は自然と皮肉な言葉を口にしていた。

『私に言いたいことでも?』

『……それはこちらの台詞だ。言いたいことがあるならさっさと言え』

 想像通りの口調に青年は薄ら笑いを浮かべ、物怖じすることなく真正面から問う。

『では聞かせていただきます。貴方は彼女とどういう御関係なのです?』

『…………』

 視線を外した漆黒の男は無言のまま通り過ぎようとするが、青年はさらなる皮肉を口にして鋭い視線をぶつける。

『聞くのも自由であれば、答えるのも自由……ということですか。深い仲なのかと勘繰りましたが、貴方の片想いのようですね?』

『減らず口を叩くのは貴様に余裕がない証だ。彼女の見つめているものがわからぬうちは我々に近づくことも叶わないと察するのだな』

『……彼女が見つめているもの……?』

 青年の視線が彼女へと移る。彼女までもが彫刻になってしまったのではないかと思うほどにその場から動かず、美しく靡く淡い髪のみが動きをみせる。

『……守るべきものがそこに在るからであろう。彼女の心は我々に向いてはいない。二度拾われただけ幸運と思え』

『……二度……』

 青年の中で、残像のように残る森の水辺での出来事が確信に変わった瞬間だった。
 彼女が二度も自分に手を差し伸べてくれた事実に切なさが込み上げて、目頭と喉の奥が熱を帯びる。

(この切なさは……恐らく以前の私が抱いたであろう心の痛み……)

 想いさえ告げていない青年には抱いたことのない感情がもつ胸の痛みだった。


 しかし、ある時を境に彼女はよく空を仰ぐようになる。
 そう、あの男が現れてからだ――。


「…………」

(あの少女の面差し……やはり似ている)

 仙水は持ち帰った花を握られた右手の中でジッと見つめていた。

「遅かったな」

 漆黒の男が何の気配も感じさせずいつの間にか帰還した仙水の傍に立っていた。

「……柄にもなく昔のことを思い出してしまって。少々足止めを食らってしまいました」

 着物の袖に花を隠した仙水。
 彼女に通じるかもしれない手がかりを共有したくはないという本音が見え隠れしている。

「…………」

 過去の仙水に何が起きていたかを知る人物のひとりである九条は黙っている。
 記憶を消したらどうだと言われたことがあったが、それでは彼女の想い出までもを消してしまうことになる。
 一度否定した仙水にそれ以上の言葉は不要だったが、ここにいる誰もが同じことを考えていた。

 悲しみの中にある彼女との想い出と、自らの想いを誰もが心の奥底に秘めたまま長い時を生きていた――。

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