猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
*猫が踏んじゃった伯爵
無数の明かりが灯される会場内を、蝶のように舞う色とりどりの鮮やかな衣装。せっかくの演奏をかき消してしまうほど、たくさんの人のざわめき。
隣室で振る舞われる料理や酒の匂いに混じって漂う 、多種多様の香水の香り。そのひとつひとつは良い香りでも、これだけの数が入り乱れると不快にしか感じない。

日中に催された国王の即位一周年を祝う式典を終え、日が暮れてからは、若い王の計らいにより堅苦しさが取り除かれた、無礼講の宴へと移行している。

雑多な香りと人々の熱気でグレースは軽い頭痛を覚え、視界がちかちかとし始めていた。控えの部屋で少し休もうかとも思ったが、踊りよりも会話に夢中な者ばかりのあの場では、ここよりさらに気分が悪くなることは明白である。とてもではないが、グレースに踏み込む勇気はなかった。

こうしてぼうっと場内を眺めていても、彼女に近寄る者はいない。時折、ちらちらとこちらを窺う視線を寄越しはするが、グレースの緑の瞳と合うとすぐさま顔ごと逸らして行ってしまう。その繰り返しが居心地の悪さを増長させる。
もう十分務めは果たしただろう。壁伝いにこっそり宴を抜けようと、出口を目指していた。

「……レース様。グレース様」

知った声に呼ばれたような気がして立ち止まってみたが、こうも目まぐるしく周囲の者が入れ替わるのでは、目的の人物がみつからない。目を細めて辺りを見回す。

「グレース様!」

耳のすぐ後ろでした大声に、グレースはびくっと肩を跳ね上げた。深呼吸をひとつして息を落ち着かせてから、ゆっくりと振り返る。

「マリ。あんまりびっくりさせないでちょうだい。心臓が止まるかと思ったわ」

「申し訳ありません」

がばりと頭を下げた声は心なしか涙声だ。

「別に怒ったわけじゃないのよ。さあ、頭を上げて。こんなところで目立ってしまうわ」

マリが彼女の元に来てまだ三ヶ月ほど。長年勤めてくれた前任の侍女が薦めてくれた通り、人柄は真面目で素直な娘なのだが、いかんせん落ち着きが足りないように思われる。
まだ十代だからそれも仕方のないことと、グレースは子どもに言い聞かせるように言ったつもりだったが、マリはさらに身を縮こませてしまった。

「本当に申し訳ありません!あの、ジム様が……」

「ジムになにかあったの?」

グレースは眉間のシワを深める。それを見た彼女はますます小さくなり、今にも消え入りそうな声で報告を続けた。

「はい。お夕飯の時間になっても戻られないのです。実は、グレース様がお出かけになった後すぐに、館を飛び出してしまわれまして。どうしましょう。ジム様になにかあったら……」

「また?あのコったら本当に仕方のない。そんなに心配しなくても大丈夫よ。行きそうなところは知っているから。あなたは先に館に戻っていてくれる?もしかしたら、何食わぬ顔をして帰ってくるかもしれないわ」

青い顔で震えるマリの背中にそっと手を添えると、ようやく安心したように小さく頷く。その彼女を促して、グレースは逃げるように煌びやかな宴会場を後にした。
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