恋愛生活習慣病
毎日の生活習慣を見直しましょう。

act.1

あ、ヤバい。

気付いた時にはその人にぶつかっていた。

腕の中には大事な花たち。
咄嗟にそれらをぎゅっと抱きしめた瞬間、盛大に転んでお尻に衝撃が走った。

李紅(りく)はフラワーコーディネーターだ。
今朝は、このビルのエントランスを花で彩ることを担当している。
腕の中の物は、赤い薔薇やガーベラ、それにヒペリカムといった花々。なのだが。


「いったぁ……って花!うわあ花!大丈夫!?」


折れてない、つぶしてない!?と心配になって確かめていると、「大丈夫?」という言葉に重ねて、ぶつかった相手がそっと手を差し伸べてきた。


「自分のことより花の心配?」

「す、すみません。前をよく見てなくて」


謝りながら手を取り、顔を上げると。
そこには眼鏡とスーツが恐ろしいほど似合う、ものすごいイケメンが立っていた。


「怪我はない?」


どことなく愉快そうな笑みを浮かべた男は、彼女を立たせながら、空いた方の手で転んだはずみに半分脱げてしまったパーカーを彼女の細い肩に掛けてくれた。


「あ、ありがとう……ござい、ます」


(か、かっこいい!何この人!)

滅多にお目にかかれないような美形だ。
ぼうっと見とれていると、男はその隙に花束を彼女の腕から取り上げてしまった。
美形に赤い花束。
恐ろしいほど絵になる姿だ。


「花ってけっこう重いんだな。君は華奢なのに意外と力持ちだ」

「いえ……あの、これくらい大丈夫です。あの、花を」

「持つよ。エントランスに持っていけばいい?鈴木さん」

「え?」


苗字を呼ばれてきょとんとする。なんで?知らない人なのに。
疑問が顔に出ていたらしく、男は小さく笑って彼女が胸に下げていたネームプレートを軽く引っ張った。


「鈴木李紅—―—―—―りく、と読むのか」


ないしょ話をするみたいに耳元で囁かれた自分の名前が、やけに甘く響く。


「李紅。このお礼は……そうだな。後で食事に付き合ってもらおうか」


それが彼との出会いだった。



◇◆◇


「ぎゃはははは!!通りすがりのイケメンが呼び捨てしてナンパ!ないわ!」

「華奢って!アンタから最も遠い単語!なんでフラワーコーディネーター!誰だよっ」


ジョッキ片手に机をバンバン叩いて大笑いしているのは、元同僚たち。
今日もいつもの店でいつものメンバーでいつもの飲み会。


「22歳、フラワーコーディネーター。ちっちゃくて細くて華奢で可愛いくて眼鏡イケメンエリートに溺愛されるの、私」


と、いう妄想でただいま盛り上がっています。

イタイと思われるでしょうが、妄想小話。これが結構楽しいのだ。


「で?22歳、華奢なフラワーコーディネーターはどうなるの?この後イケメンと食事するの?」

「いやー。そこは一旦お断りでしょ。エントランスで待ってる同僚の目が怖いし」

「同僚!睨み利かせないでイケメンの友だち紹介してもらえ!」

「断ったらダメ!イケメンとの出会い死守!せめて連絡先確保!」

「そこは大丈夫。彼はできるエリートなので『私』のスマホをいつの間にかポケットから抜いてて、ささっとお互いのSNS登録してんの」

「勝手にスマホ盗んでフリフリ!」

「イケメンだから許す!ぎゃははははは!」


またバンバン机叩いて大笑い。酔っ払いなのでなんでも面白くてしょうがない。
居酒屋の個室っていいよね。アホな話がいっぱいできる。
焼酎のボトルとタコわさを持ってきた店員のおにいさんは若干引き気味だけど、気にしない気にしない。

実際の私たちは22歳など過ぎ去った遠い過去。
現在、30歳。三十路に足突っ込んで数ヶ月が経過。わははははー。

そしてワタクシ、鈴木李紅(すずき りく)はフラワーコーディネーターではなく実生活ではSky Next TOKYOという大型複合ビル内のクリニックで看護師&保健師をしている。

華奢とは程遠く、今、人生最大に太っている。
控えめに言えばぽっちゃり。はっきり言えばデブ。
女の敵を作らない、安心なボディラインと言えば分かりやすいだろうか。

もうね、何もせずに自然と痩せてたあの頃はなんだったのかって思う。
同じ体でも28を過ぎた頃から変わってきた自覚はある。代謝が悪くなったんだと思う。吹き出物の治りも悪いし。

でも止められないのが酒と肉とスイーツ。

食べるって幸せを簡単に得られる行為だから人間って弱い……いや私の意思が弱いだけなんですけど。
この一年で15キロ増えました。わははー。いえ、笑いごとじゃないって分かってるんだけどね。分かってるんだけど!
今日もいつものメンバーでおおいに飲んで食べている。

同じ大学出身で元同僚の彩芽(あやめ)と紗理奈(さりな)。私が以前勤めていた大学病院に彼女たちは今も勤務しているナース。ちなみに彼女たちは太ってない。
週イチ飲み会のスタメンなのに、すらりとしてナイスバディ。なぜだ。

彩芽が、あー笑った笑ったと目じりの涙をぬぐいながら「で、そのイケメンは実在?それとも完全妄想?」と聞いてきた。

「実在。職場の2階のカフェにお昼に行ったとき見た。も、ほんっと美形だったー。多分ハーフかクオーターだと思うんだけど、鼻がしゅっと高くて彫が深い、濃すぎず涼やかな美形でさ。しかも眼鏡!S気全開の銀縁の眼鏡が超似合っててさー、全身からビシィっとクールなオーラ放出してんの。眉間にしわ寄せて不機嫌そうにノートパソコンのキー叩いてる姿をオカズに食がすすむすすむ。座ってたから足の長さは確認できなかったけど肩幅と上半身の骨格から推測するに身長180はありそうだし、あの上半身からして下半身のバランスもいいとみた。ヒップラインとか大腿とか全体像を確認したかったなあ」

あれはイケメンの多いあのビルでも、桁違いに美形だった。
眼福だったなあ、と脳裏に焼き付けたイケメンを思い浮かべてニヤニヤしてしまう。

「……舐めるようにガン見してるあんたの姿が目に浮かぶわ」
 
彩芽は呆れたように苦笑しながらお湯割り芋焼酎をくいっと呷ってさっきの妄想小話に突っ込みを入れてきた。


「でもS気眼鏡なら、ナンパな感じに声かけてこないんじゃね?」

「ばかねー 当然『私』に一目ぼれしてすでにメロメロになってんのよ」

「メロメロて!昭和か!」

「ドSイケメンを一目で恋に落とすとか無敵か!」


ぶははとまたひとしきり笑って落ち着いたところで、紗理奈が溜息を吐いた。


「アンタの職場は周辺にイケメンがいっぱいで楽しそうだよね」

「病院にもいるでしょ、イケメン」

「患者さんは論外だし、技師や薬剤師は競争率高いんだよ。結婚相手として人気」

「紗理奈にはドクター長友がいるでしょ。奴と付き合えば?」


紗理奈は最近、同じ病院に勤める、3つ年下のドクター長友に誘われることが多いらしい。
私は長友氏にまだ会ったことはないけど、温和で優しく良い人を絵に描いたような人物らしいし良いんじゃないかなと思うのだけど、草食系でこれという言葉や押しがないのが歯がゆいのか、紗理奈は

「新人の頃から何かと世話してあげてるから懐いてるだけでしょ」

とか可愛くないことを言ってるけど、誘われてまんざらでもなさそう。


「なんだかんだ言いながら楽しそうじゃん、紗理奈」

「楽しくない。彩芽の彼みたいにイケメンじゃないし。このリア充め爆発しろ!」


呪いの言葉を吐かれた彩芽には7つ年下の彼がいる。心理学を専攻している院生だ。
半年前から同棲してて生活費は彩芽が出し、家事はすべて彼がやっている。しかもわんこ系で可愛い。


「あれは彼氏じゃなくてヒモだってば。愛やら恋やらの甘ったるい関係じゃないし」


彩芽はいつも彼のことをヒモだと言い切る。
でもヒモ彼は、世間一般でいうダメ男のヒモとは違い、とてもとても良いヒモ彼だ。

掃除に洗濯、毎日のお弁当まで作ってくれ、心理学の知識を生かし愚痴をじっくり聞いてカウンセリング。夜勤明けは車でお迎えに来て、入浴後にマッサージまでしてくれるらしい。
ヒモゆえにしてくれるのだと彩芽は言うけど、そのへんの嫁より絶対に尽くしている。

なんて素敵なカップルなんだろう。猛烈に憧れる。
この二人の関係がまさに私の理想。

恋愛や結婚は面倒くさいと思っているけど、寂しくない訳じゃない。
一緒にいて楽で、癒してくれて、ついでに私の世話をしてくれる存在が欲しい。

私が今一番欲しいもの。
それは癒しと家事を提供してくれるヒモ彼である。
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