恋愛生活習慣病

act.7

「お肉って幸せを運んできますよね…」

宮崎県産A5和牛のステーキが私の口の中で踊っている。じゅわっと溢れる肉汁がたまらん。
幸せを奥歯で噛み締めていると、氷室様が「本当に美味しそうに食べるね」と微笑んだ。

氷室様にはあの豪華ホテル朝食(いつの間にか支払いも済んでて結局ご馳走になった)以降、なぜかよく食事に誘われるようになった。
ディナーにも誘っていただいたけど、ダイエット中に夜の外食は大敵なのでお断りした。
ハイパーイケメンのお誘いを断るなんて何様だよって思うけど、このダイエットは仕事でもあるので仕方がない。

今日で通算3回目。本日もランチに誘われて、7階のステーキハウスでお食事中。
昼間からステーキ!しかもこのビルのお店ってお高いのになんたる贅沢。
払わせる気なんて毛頭ない私はお財布の事情から二の足を踏んだのだけど「昨日からろくに食べていないので、しっかり食べたい。ご馳走するから付き合って」とまで言われると断れない。
大好きな肉だし。ステーキだし。
しかしダイエット中の後ろめたさはあるので、本当はサーロイン食べたいけどカロリーと値段を考えてランプにした。赤身肉で高たんぱく低脂肪。ビタミンB6、亜鉛、カリウムが豊富だよ。
飲み物は氷室様のお勧めでライムを添えたスパークリングウォーターにした。
硬水の炭酸水は口がさっぱりするだけでなく、お肉の旨味を引き出すのだそうだ。
美味しいものをより美味しく頂くための知識って素敵!


「インドでのヨガ修行で分かったことは、お肉料理は偉大ってことです」

「肉料理?どうして」

「ヨガの修行中、お肉が食べられなかったんです。師匠が肉は血と気を乱すっていう考えの方で。研修所の食事も植物性食品ばっかりで、あの時は流石に痩せました。事前に研修所の食事についてちゃんと調べればよかったって、すごく後悔しました。」


だけどある日、同室だったヨガ研修生のドイツ人が「肉が食べたい」と言い出して、つられて私もお肉が食べたくて食べたくてしょうがなくなった。
そしたら「じゃあ食べる?私も骨つき肉が食べたい」ともう1人の同室者であるアメリカ人の子が言い出して。
「30分待ってて」と言って外出したその子が戻ってきた時、バッグの中から取り出したのは匂いが漏れないようにビニールでぐるぐる巻きに包まれた、何かの肉を焼いた物だった。屋台で買ってきたらしい。


「これ何?」

「お肉よ」

「何の肉?」

「分かんない。食べられる肉よ」

「……よし、食べよう」


香ばしいお肉の匂いに我慢できなくなって、3人で食べた。
それ以来、週に1回くらいのペースで街の屋台でこっそり肉料理を食べる「闇Yummy肉会」をするようになった。
研修所にバレたら即刻追い出されるからドキドキしたけど、それもいい思い出だ。

私のする話なんてこんなアホな話ばっかりなんだけど、氷室様はいつも楽しそうに笑ってくれる。
見た目はクールで隙がなさそうな人だけど、こうして会う機会が増えると意外に笑う人なのだと知った。

「それじゃ、しっかり食べて。もう一枚、注文しようか?」

「氷室様、じゃなかった氷室さん。そういう誘惑は止めてください。私ダイエット中なんですって。太らせてどうするんですか」

「ごめんごめん。そうだったね」


可笑しそうに肩を震わせると、氷室様は自分の鉄板皿のサーロインを二切れ、私のお皿に乗せた。


「でも味見くらいはしたら?本当はサーロインの方が好きそうだし」

「ひ、氷室様……!」


なんてお優しい。じゃあお返しにとランプも一切れ(ケチか)お返ししたけど。あ。

「こういうの気になる人じゃなかったですか?人の使ったフォークとか」

「俺は李紅のなら気にならないよ。李紅は気になる人?」

「いえ、ぜんぜん」


私はそんな細やかな神経の持ち主ではない。
それよりも今!私の名前、呼び捨てした!?
前々回のランチで苗字呼びから「李紅さん」になって、その次に敬語が抜け、1人称が「私」から「俺」になった。
回数を重ねるごとに口調や態度がくだけてきちゃってドキドキしちゃうじゃないっすか!

胸をときめかせながら頂いたサーロインを口に入れ、ふと視線を感じて横を見ると、向こう側のテーブル席に座っていた知らない男性が2名、こちらをじっと見ていた。
氷室様より年上と思われる、どちらもできる感じのスーツ姿のビジネスマン。
視線の先は私ではなく、どうやら氷室様だ。両方とも唖然として口が開いている。


「どうしたの?」


私の視線を辿った氷室様は、合点したように「ああ」と呟き、軽く目礼した。そしたらあちらの男性たちはビクッと体を震わせなぜかぺこぺこお辞儀をしている。


「お知り合いですか?」

「ああ。同じ会社の人だよ」

「なんかすごい頭下げてますよ。慌てて席立っちゃったし。どうしたんですかね?」

「そうだね。俺は怖い上司だからこんなところを見てしまって驚いたんじゃないかな」


怖い上司って。そうなの?
しかも氷室様のほうがどう見ても年下なのに、あの人たちの上司なんだ。
外資系は実力主義だっていうし、氷室様はきっとすごくデキる人なんだろうなあ。
でも上司が女と食事してるとこ見たくらいで、あんなに驚く?
もしかして、こんなデブスとイケメン上司が一緒にいるから驚いてたの?そうだとしたら申し訳ない。


「なんだか、ごめんなさい氷室様。私なんかといる所見られちゃって」

「どうして謝るんだ。見られて不都合なことなどないだろう。それより李紅、氷室様って呼ぶの、止めてくれないか?」

「え?あー、ごめんなさい」


くせで、つい。
モエちゃんたちと話す時に氷室様氷室様っていつも呼んでるから。
それに氷室様ってイケメンすぎてなんか現実味がないんだよね。アイドルとか俳優を見てる感じに近くて。


「名前で呼んで欲しいな。まさか李紅、俺の名前覚えてない訳じゃないよね?」

「知ってますよ!冬也さんです。氷室冬也さん」

「そう。冬也、でいいから。敬語もなしで」

「いやあ、呼び捨てと敬語なしはさすがにできないです。名前は……えっと、じゃあ冬也さん」

「うん、いいね」


うっ!嬉しそうに目を細めて笑う氷室様、いえ冬也さんが眩しい。
こんなクールイケメンの笑顔とか、最高級肉シャトーブリアン級ですがな!

こんなに優しそうなのに怖い上司なんだ。
年上の部下って気を使いそうだけど叱ったりするのかな。
仲のいい同僚とかいるんだろうか。
でもこの顔と雰囲気で仕事ができて出世頭とか、妬み嫉みが凄そうだなあ。外資系のエリートはプライドが高そうだし(偏見)。
もしかしたらそんな人たちとじゃランチで美味しいもの食べに行こうよって、あんまりならないのかも。

でもランチくらいはたまに誰かと食べたいと思ってて、そこそこ話のできる気軽な友だち、つまりメシ友が欲しいなって。
同じビルで働いているから、ランチに誘いやすいってことで、私はメシ友要員に選ばれたのではないだろうか。

うん、きっとそうだ。


「ひむ、違った、冬也さん、ご飯なら何時でも付き合いますから誘ってくださいね」

ご馳走しなくてもいいですから、あ、もちろん払える範囲は決まってますけど、時々ご飯くらい付き合いますよー。と言うと、なぜか冬也さんは複雑そうな顔をした。


「李紅、俺がどうして食事に誘うのか理解してる?」


ええ、もちろん。
私はしたり顔で頷いた。


「心配しなくても、私、勘違いしませんから。変な気なんて起こさないし、わきまえてるんで安心してください」

「変な気って、何?」

「私がひむ、ん。冬也さんに恋愛感情を持つってことですよ。そんなことありえないんで」


氷室様、いえ冬也さん…って呼び難い。心情的には「氷室様」なんだよね。
しかし癖になってうっかり口に出ちゃうから心の声も冬也さんと呼ぶことにする。
ただのメシ友とは言え、苗字で様呼びされたらお客様扱いで線引きされたみたいな気分になって嫌だろうし。


「俺を好きになることは、ありえない?」

「はい。ありえません。あ、もちろん人としては好きですよ?」


冬也さんと恋愛なんて、いやあ考えられないでしょ。
だって冬也さんは、私にとってほぼ二次元の住人だ。
芸能人や漫画のヒーローを目の前にしてるような、現実味がない存在なので、会えば気分が高揚するしドキドキするし嬉しいけど、私だけを見て!好きになって!って気持ちにはならない。


「この前、冬也さんが恋愛が邪魔だって言ってるのを聞きました。……ごめんなさい。立ち聞きしちゃって」

「……」

「私も似たようなこと思ってたんです。恋愛って面倒だなって。だから気持ちがちょっと分かると言うか。恋愛って感情のバランスが難しいじゃないですか。どちらか一方に傾くと、もう一方が苦しくなる。そういうの、もう面倒くさくって」


おこがましいかな、とは思ったんだけど、似たような考えを持ってることを伝えておきたかった。
私は恋愛が邪魔までは思わないけど、面倒くさいと思っている。
私は好きだなんだと言って揉めたりしないから、どうぞ気楽に仲良くしてください。


「これからも気軽なメシ友のひとりとして、よろしくお願いします」


改めて言うのが気恥ずかしくて、頬が熱い。多分、顔は赤くなってるはず。
照れくさくて視線だけを上に向けると、冬也さんはなぜか目を見開いて目元をほんのり赤くしていた。
と思ったら次の瞬間、脱力したように深い溜息を吐いた。
最初の頃の印象はアンドロイドみたいだったのに、こうして人間ぽい感情の揺れを見せてくれるようになって嬉しいなあ。
何を考えて感情が揺れてるのかは不明だけど。

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