ただひとりの運命の人は、私の兄でした
悲しい予感

愛されては、いるけれど

その日私が帰宅すると、光希は既に夕食を作っていた。
「ただいまぁ、……あれ、早かったね」
「うん。今日は思いがけず早く仕事が片付いたから」
キッチンに立つ光希は黒いTシャツにスリムなデニムパンツを履いている。
身体のラインがはっきりと見えて、思わずごくりと喉が鳴る。
光希の身体はほどよく筋肉がついて身体が引き締まっている。ジムで身体を鍛えるのが趣味というだけあって、光希はものすごく“いいカラダ”をしている。特に腕の筋肉と胸板は彼のセクシーアピールになるんだろうな。

事実、私はあらぬことを色々と想像し、頭がどんどん熱くなっている。

あの腕に抱かれたらどんな安心感を得られるのだろう。
あの胸板に頬を寄せたら、どれだけの愛を感じることができるのだろう。

光希の彼女はずるい。彼女ってだけで、あの身体に好きなように触れるのだから。
そして夜は光希に存分に愛してもらって、あの胸板に唇を這わせることだって許されているのだろう。朝になればあの腕を枕にして目ざめる事もできる。なんて妬ましい。

私は妹というだけで、一定の距離を保たなければならない。
戸籍上は他人であっても、光希が私を妹として可愛がっている以上はそれに逆らうつもりはない。
こんな邪な想いを悶々と抱えながら、妹という立場に甘んじている自分が歯がゆいけれど、どうしようもない。
だからと言って、私の方から光希を襲う訳にもいかないし。
世の中には「誘い受け」なんてものも存在しているらしいが、いじましく純潔を守り続けている私には、そんな高度なスキルがある訳ない。
毎日一緒に暮らしているのに、あの身体に自由に触れることなど許されていない。
こんなに好きなのに。こんなに傍にいるのに。

「あおい?どうかした?」

拳をぎゅっと握りしめて立ちつくす私を心配したのか、甘く優しく笑いながら光希が問いかけてきた。
そこには何の淫らな想いも見えなくて、私ははっと我に返る。
自分ばかりが興奮していて、何だかひどく恥ずかしくなった。私の頭の中を今覗く事が出来たらピンク色だっただろう。しかも極彩色のショッキングピンク。

「えっと、何でもない。着替えてくる」
「そっか、ならいいんだけど。今日は和食にしたよ。あおいの好物ばかり作ったから」

おたまを持つ姿まで絵になるんだから、本当にずるい。
そうやって光希は私の心をがんじがらめにするくせに、ちっとも振り向いてはくれないのだから。


「これはね、かれいのから揚げに中華あんをかけたんだ。子持ちかれいだから、卵はもちろん身も脂が乗っていて美味しいよ」
夕食のテーブルにつけば、そこには何とも美味しそうなメニューばかりが並んでいた。思わずごくりと喉が鳴る。
勧められるままに食べれば、香ばしく揚がったかれいの皮に酸味のある中華あんがぴったり合って、箸が止まらなくなってしまった。
自信作だと言うかぼちゃのそぼろ煮は、柔らかいかぼちゃの上にしょうがの風味がピリっときいたそぼろあんがたっぷり。いくらでも食べられる気がした。
「これも、あおいは好きでしょう?」
そう言って差し出された木のお椀の中身は、きのこのうまみが溶け込んだ白だし仕立てのお吸い物。ふわふわと浮かぶ卵をつるりと食べると、心も身体もじんわりと落ち着いて行く気がした。
食べる事に夢中になってしまった私は一言も話さずにご飯とおかずをかきこんでいたけれど、そんな様子を光希はにこにこと幸せそうに笑って眺めていた。

私にとってのおふくろの味は、もはや光希の食事だと言っていいだろう。
母は昔からあまり料理の得意な人ではなかった。何かと言うと外食ばかりしたがった。
再婚をして光希が料理が得意だと分かってからは、食事の用意を光希に頼ることが多くなった。
実際、光希の作るものは母が作るものよりも美味しかった。それは誰もが認めるところで、あの負けず嫌いの母もその一点においては素直に負けを認めていた。
ただそれは、「光希君お願いね」とお料理を押し付けやすいという考えもあってのことかもしれないけれど。
しかし光希は嫌な顔ひとつせず、受験で忙しい時も、学校行事で慌ただしそうな時も、必ず食事を用意してくれた。
私も今となっては光希の味付けが一番口に馴染んでいる。見事に胃袋まで掴まれてしまっている訳だ。

前もって光希の帰りが遅いと分かっている時などは私も料理をするけれど、到底光希の腕には及ばない。
以前、ぐちゃぐちゃに豆腐が粉砕された麻婆豆腐を作ったことがある。一体どうやったらそんな風になるのか自分でも分からず、私は呆然と鍋の中身を眺めた。
しかし、どう考えても失敗した麻婆豆腐をぱくぱくと口にしながら、光希は蕩けそうに目を細めた。
「とっても美味しい!あおいのだんなさんになる人は幸せだね。こんなに美味しいものが毎日食べれるんだもん」
他の人がそれを言ったら「それイヤミ?」と突っ込むが、光希にはそんな意図など全くない。本気で、本心から私を褒めているのだ。
昔から何を失敗しても、うまくいかなくても、光希が私を非難したりけなしたことなどない。
随分甘やかされて育ってしまったなぁ、とは分かってるのだけど。
光希といると居心地が良くて、ついバカな夢を見てしまいそうになる。

「あおいはさ、学校楽しい?」
箸を止めて顔を上げると、光希が首を傾げて心配そうな表情をしていた。
光希はたまにこんな風に聞いてくることがある。
それは多分、私が今まで巻き込まれた様々なトラブルを知っているからだ。

こんなに純真無垢な女の子を捕まえて、色々な噂を立ててくれる輩が世の中にはたくさんいる。
特に学校という狭いコミュニティではそれが顕著だ。
『あおいは遊んでいる』なんていうのはまだ良い方だ。
私の持ち物がかなり高価なものばかりだと気がついた同級生に、散々なことを吹聴された。
あおいはおじさんの愛人だとか、援助交際してるとか、お妾さんの子どもだとか。はたまた極道の娘だとか。
どれもこれも根も葉もない噂ばかりで、私は耳にするたびに呆れたものだ。
だって、私の持っているものが年齢の割に高級なのは、全部光希が買ってくれたからなのに。
「若いうちからいいものを持たないとね」
そう言って光希は様々なものを私に買い与えた。
財布も、パスケースも、靴も、バッグも。ありとあらゆるものだ。
「ねぇ、変な誤解されるからこんなブランド物いらない」
私が必死で訴えると、光希は暗い笑顔でこう告げた。
「……そんなふざけた誤解するやつは、僕がただではおかないよ」
その時のぞっとするような低い声は、とても冗談には聞こえなかった。
光希は本当にやりかねないかもしれない。そんなびりびりとした空気を感じた。私はそれ以上何も言えなくなって、口を噤んだ。

実際、光希はただ優しいだけの男ではないのだ。それを私は過去に実感したことがある。
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