唇に、ちよこれいと
唇にちよこれいと
「俺さ、甘いの無理なんだよね」


その男は聞いてもいないことをつらつらと話しだしていた。

私はその声を聞くとうんざりした声を出さぬようにと努めて「それは災難でしたね」と呟いた。

時刻は23時と47分。

日付は既に、明日への準備を始めていたところだろう。

そんな時間に何故私がこのような男と同じ空間に居るのか。
それには海よりも深いわけがあるわけもなく。

ただ単に、本日の業務が終わらなかっただけだった。
そのため誠に不本意ながら、私の指導を担当しているこの男もこの場に残っているらしい。


「センパイ、今日はもう帰ってください。……あとは私一人で十分ですから」


白々しく、本日5度目になる言葉を吐きだしても、その男は私の声に耳を傾けることなく、そのデスクに山々と積まれた包み紙の箱をひとつひとつご丁寧にゴミ箱へ捨てていた。


「お前と俺が良くても上がダメなんだよ」


その尤もらしい理由に私が黙るのも5度目だ。

だるそうにネクタイをゆるく締めて首に下げているそいつは、私のパソコンに目線を移すと更にだるそうに、いや、いっそ鬱陶しそうにため息を吐いた。


お前、まだ終わんねえのかよ、と言いたげな瞳に、止まりかけていた手を動かす。

誰も好きでこの時間まで残っているわけじゃない。


今私が制作しているテキストも、昨日までに全て終わっていたはずだった。

それがどういうわけか。今日外回りから帰ってきてパソコンを開くと、全てのデータが綺麗さっぱり消え去っていた。
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