セルロイド・ラヴァ‘S
10時過ぎには帰してもらい。「明日からも宜しく」と、羽鳥さんは爽やかな笑顔で手を振り、エンジン音を響かせアパート前から走り去っていった。

あのあと未練がましく口説かれたりも全然なかったし、あくまで仕事上のパートナーのように接してくれた。・・・勿体ないぐらいに好い男だ、そう思う。もし羽鳥さんがあの場で引かなかったら浚われてたかも知れないぐらいには。

そうならなかった結果にほっとした反面、どこか残念な気持ちも正直にあって。彼への好意が満更でもなかったんだと今さら気付いた。

愁一さんとはこれからだ。羽鳥さんと比べるものでもない。どこか言い聞かせるように。女はやっぱりリアリストでセンチメンタリスト。

小さくなってゆくテールランプを見送ったあと、私は一度だけ深く頭を下げ。部屋へと戻ったのだった。




洗面ルームでお風呂上がりの髪を乾かし、リビングに戻ってテーブルの上のスマホを確認すると愁一さんからラインが来ていた。 “何時でもいいので帰ったら電話して”

思いがけず笑みがほころんだ。心配してくれたんだろうか。だとしたら素直に嬉しい。そのまま通話をタップする。呼び出してすぐ愁一さんは応答した。

『おかえり。・・・もっと遅いかと思ってた』

「10時には戻ってたんだけどお風呂に入ってて・・・。ごめんなさい」

『僕こそごめん。睦月は明日は仕事なのも分かってるんだけどね。どうしても声を聴いておきたくて』

電話の声は包み込むように穏やかで・・・ひどく安心する。

「・・・私も愁一さんの声が聴けてうれしい」

『そんなこと言われたら今から会いに行きたくなるでしょう』

耳元に響く声があんまり優しいから。つい口から零れてしまった。

「・・・・・・会いたい」

『・・・・・・・・・・・・』

彼が押し黙ったしまったのを。私は切ない思いで次の言葉を待っていた。自分でもどうしてこんなに甘えたい気持ちになっているのか、分からなかった。

『・・・行ったら僕は睦月を滅茶苦茶に抱く。泣いて嫌がっても止められない。・・・だからやめておきなさい』

愁一さんが静かに言った。ここでそれをされたら声を抑えられる自信がない。私は堪えてゆるゆると大きく息を逃した。
  
「・・・・・・ほんとはそうして欲しいけど。今日は我慢したほうがいい?」

『一晩経てば頭も冷えるから。・・・明日は僕も優しくできる』

淡く笑んだ気配だけが伝わって来て。おやすみなさいを言い合って通話を閉じた。

羽鳥さんとどうしたとは何も訊かれなかった。でも今夜は。二人とも消しきれない何かを胸の内に、独りで自分を慰めるかも知れない。




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