セルロイド・ラヴァ‘S
「何だかすみません。ご馳走していただいた挙句、長々と」

スツールから下り、バッグを手に恐縮して頭を下げた。

「いいえ、お誘いしたのは僕ですから。こちらこそお帰りのところを引き留めてしまったみたいで申し訳ありません」

カウンターの向こうからフロアに出てきた彼がやんわり笑んで前に立つ。身長155センチの自分からすると175センチそこそこは有りそうな長身の彼。見上げないと視線も合わない。

「帰っても一人ですし何がある訳じゃないので、気になさらないで下さい」

「ああ僕も一緒です」

入り口の方へと一緒に歩き出しながら、確かに家庭を持ってる匂いがしないかなと思っていた。

小窓の形に一部分だけガラスで抜かれたドアを開けた保科さんが暗い夜空を仰ぐ。

「ちょっと待っててください」

戻った彼の手には折り畳みの黒い傘が。

「僕のですみませんがどうぞ」

「いえ、そこまでお気遣いなく」

「返しに来てくださる楽しみをいただきたいんですよ」 
 
少し悪戯っぽい笑み。女性慣れしてるわね・・・さすがに。
社交辞令だと分かっているし無下に断るほどのことでもない。ありがたく拝借する。

「・・・じゃあお言葉に甘えます。ありがとうございます」

「お気を付けて。睦月さんとのお話はとても楽しかった」

「いえ私もです。じゃあ・・・失礼します」

軽くお辞儀をして傘を差す。

「睦月さん」

柔らかな声音に傘ごと振り返った。

「お休みなさい」

少し目を細めて淡く微笑んだ彼と。深く目が合う。
私は一瞬、言葉を忘れて。

「・・・おやすみなさい」

取り繕ったような笑みをやっと浮かべ。どことなく後ろを引かれる思いを感じながらも、アパートへと向かう足を少しずつ速めていった。




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