記憶がどうであれ

15話

 元主人にとって今の私は知らない人。
 私は元主人にとっての復讐の道具にはならない。
 彼はその事が解ったはずだし、私を被害者とまで言っている。

 その事実を知って、今どう思っているのだろう。
 きっと、付き合う意味は無いと考えているよね。

 彼との付き合いは決して将来を見据えたものではなかったけれど、すぐにお別れしようと思うものでもなかった…私にとっては。
 大人の恋愛とでも言うのだろうか…将来を誓い合うことはしなくても、お互いを尊重し合い多少の依存をし合い、求め合っていたと思っていたのは私の勘違いで、彼は私に少しの愛情も無かった。
 本当に信じられない。
 信じたくない。
 男の人は心が無くても…誰とでも抱きあえるの?
 私はそんなに悪い人間なのだろうか。
 実の両親には愛されず今は疎遠に。
 結婚した相手の家族には蔑まれ、結局結婚相手には忘れられて今は他人。
 恋人ができたと思えばそれは復讐の道具目的だったなんて、どうして?

「あんな行為を気持ちの無い相手と出来るだなんて…」
 涙を堪える。
 私の言葉に彼はハッとした様な表情をして、違うんだ…と呟いた。
「違う? 何がです?」
「君への第一印象は特別何も思わなかった…結婚写真での印象だ」
「はい」
 そうだろう。 一生懸命ブライダルメイクを施されても彼の奥様であった彼女には追いつきはしない。
「初めてスーパーで見た時に気づけなかったのは多分化粧の違いの所為だと思う。
……やっと気づいた時には写真よりも随分地味にしているんだな、と思った」
「はい」
「地味な君には誠実な対応が有効だろうと思って、真面目一辺倒なスタイルで君と会った」
 お洒落することもなくいつものままの姿で会ったのは彼の計算。
 媚びるのでは無く、真面目そうな印象の方が私が気に入ると考えてだった…まんまとその策に嵌った私を笑ったのだろうか。
「いつもはこんな堅物メガネじゃない」
「え?」
急に髪の毛をくしゃくしゃと無造作に乱しメガネを外す彼。
「会社ではコンタクトだ」
 シャワーの後でも曇ったメガネをかけてバスルームから出てきていた彼の素顔は驚くほど整っていた。
 もともと鼻すじの通った人だとは思っていたけど、目も大きくて綺麗。
「ド近眼なんだ。 メガネのレンズのせいで目が小さく見えるからと妻に外でのメガネを禁止される程」
「…こんなに整った顔をしていたんですね。 奥さん、それでも愛してくれなかったなんてどうして?」
 そんなに元主人が良かったの? 私は初めて会った時傲慢な人にしか見えなかった。
「俺の性格の所為だろ。 自信に満ちた少し強引な男に魅力を感じるんじゃないか?
俺は、強引とは程遠い優しい男って代名詞がついてたから…友達にはいいけど、彼氏にしたら物足りないタイプってヤツ」
 苦笑する彼。
 きっと彼に好意を持った人が居たとしても、奥様に恋心を向けている事に気づいた時点で諦めてしまったのかもしれない。
 その位彼女は綺麗だった。
「そんな男なのだと自分でも解っていた…
なのに君は俺といると心が安らぐと言ってくれ、抱かれながら幸せだと言ってくれた…
だけど、どうしても妻の心を独占したあの男の元妻、あの男を捨てた人なんだという目で見てしまっていたんだ」
 俯く彼。
「貴方との付き合いを幸せだと思っていたんです…なのに…」
 酷い。 
「俺は君に近づきたかった理由を何度も何度も自問自答した。
それは、当初の目的を忘れそうになるくらい君との時間が心地良かったからなんだ」
「信じろと言うんですか?」
「信じてくれなくてもいい。ただ聞いて欲しい。
あの男への嫌がらせをしたいという気持ちが無くならなかったのは事実だから……君を抱きながらあの男への優越感に浸っていた」
「…」
 本当に酷い事を言う。
 結局元主人に対する嫌がらせで私を抱いていたなんて…
「そんな事を思いながら君と付き合い続けている事を申し訳無いと思う様になり、ずっと葛藤していた。
だけど、自分の中のあの男への感情を消すことは難しかったんだ」
 言い訳なんて要らない。
 葛藤していたなんて自己弁護でしかない。
「元主人への復讐を実行しようとしたじゃない!」
 何が葛藤だ。
 もしもあの時私がハメ撮りに頷いていたらどうなっていたの?
「そうだが…」
 歯切れの悪い彼。

 何かがおかしい。
 …何かが引っかかる。

「…本当は…私が断ると解ってました?」
「は?」
「この数ケ月で私の性格を少しでも理解してくれていたなら…あんな提案に頷くはずが無いと解ってたんじゃないですか?」
 そうそこだ。
 多分大半の女性がハメ撮りを断ると思う。
 世の中リベンジポルノなんて言葉が横行しているのだから危機感を持っている人なら確実に。
 私だってそうだ。
 彼は自分の性癖でその行為をしたいと言っただけで、まさかそういったことに利用するとは考えてもいなかったけれど…
「……ああ、解っていた。頷くわけが無いって。
だけど、そんな提案をする俺を軽蔑し離れて行くだろうという思惑は外れた」
 たっぷりの間をとって彼は諦めたようにそう言った。
 ハメ撮りをしたいと言った時、彼は私からの別れの言葉を望んでいたの?
「そんな事しなくても、自分から別れを口にして離れて行けば良かったじゃないですか!!!」
 そうすれば、こんな残酷な現実は知らずに済んだのに。
「どうしてかな…君に嫌われてしまいたかったのかもな」
「今になってこんな事言うなら、あの時に別れたいと言ってくれれば良かったのに…」
「君と別れるなんて自分からは言えなかった。
君との居心地が良かったから」
「嘘つき…今でも奥さんを想っているくせに」
 私への多少の好意や情はあるのかもしれない。
 だけど、彼の心の中を占めているのは奥様のはず。
 だからこそ奥様本人への復讐は考えもせずに元主人へ復讐したいと思ったのでしょ?
 奥様を忘れたのなら復讐は必要ない。
 しかも復讐の行動は私を陥れる行為といってもいい。
 私への想いなんて無いに等しいじゃない。
 元主人へ復讐したいという気持ちを消せないのは、裏を返せば奥様を忘れていない証拠だと誰でも解る事実。
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