記憶がどうであれ
再会は運命

24話

 小説を読みながら私の胸の中にどんどん熱い想いが溢れだす。
「お待たせいたしました」
 店員さんの声に慌てて小説を鞄にしまう。その際、あの栞をしっかりと挟んだ。
「うわぁぁ綺麗」
 パスタの盛りつけを見てつい零れた台詞に店員さんはにこりと笑い、
「ありがとうございます」
 と満足そうだ。
 自分の働くお店の品に自信があるのだろう。
 自信を持ってお客さまに料理を提供できるというのはきっと働きがいがあるだろうな…と、思った。
 私も自分の仕事に誇りを持っている。
 決して利益ばかりを重視したお店では無いから。経理としてその辺は間違いないと言い切れる。
 安心安全。 安く仕入れることができた物は安くお客様へ提供する。
 その分、パートの時給は決して高くはないけれど、人手不足になっていないのは店長や同僚の人柄のお陰なのだと思う。
 女性が多い職場だけれど陰険ないじめはないし、みんな人がよい。
 採用は店長が大きな権限を持っているから、店長はきっと人柄を見ているのだと思う。

 パスタを食べ終えコーヒーのお代わりを注文し、ゆっくりと小説を読む。
 あの頃夢中で読んだ。
 図書館デートの時に初めて手にとって、凄く心惹かれて結局購入した。
 何度も読んだ。 ヒロインの台詞を真似したりしたっけ。
 彼氏はこの本に興味を示さなかったから私がヒロインの台詞を真似しても全く気づいていなくて、ただニコニコしながら応えてくれていた。 
「『好きって言ったらご褒美あげるよ』なんてよく言えてたな…」
 ヒロインは複雑な家庭環境で育った。それが原因で天の邪鬼。 好きな人にも好きと言えない様な…
 少し年上の大人なヒーローがヒロインの全てを受け止めていた。 そんな状況に物凄く憧れた。
 当時付き合っていた彼氏は、私がその台詞を言うと必ず『好きだよ。ご褒美は何をくれる?』と言っていたっけ。
 同い年で決して年上ではなかったけれど、器の大きな人だったと思う。
 私の突然のセリフにも動じることなく応えられるなんて。

 最初は頭を撫で、それから手を繋いで。
 腕を組んで、ハグをして、頬にキスをした。
 唇同士の本物のキスの時は、私はただ目を瞑って彼氏の出方を待った。
 そして、軽く触れた唇にどうしようもなく心臓が高鳴った。
 懐かしい。 私の初めての彼氏。
 初恋だった…
 彼氏の部屋であの台詞の後、『ご褒美だよ…いいよ抱いて』と初めて身を任せた。
 その時の私は、母の浮気に心を痛めていて、彼氏を愛しているから身体を繋げたいという気持ちよりも、母の知らないところで私の純潔を捨てたいと思う気持ちが大きかった。
 清く正しく生きてきた…それが馬鹿らしくなったのだ。
 彼氏から誘われた訳でもないのに、『抱いて』と誘ったのは私。
 その行為自体に愛を求めていた彼氏の気持ちは解っていた。
 だけど、母が知らない男としている行為を私自身がすることが母への抗議の様に感じていた。
 母が私の変化に気付いた時、『彼氏とヤッてるよ? だから?』と言ってやるつもりだった。
 結局母が私の変化に気づく事はなかったけれど。
 どうしてあの時、彼氏を母への当てつけの道具にしてしまったのだろう。
 …どうしてそんな酷い事ができたのだろう。
 忘れていた気持ちが、小説を読みながら思い出されて私の目から涙が溢れる。
 声を殺して、ハンカチで涙を拭き立ちあがる。

「美味しかったです。ご馳走様でした」
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
 小説を読みながら泣いている妙な客にも温かなお店だった。
「また来ます」
 この出来事を思い出すこともない生活だった。
 忙しすぎるという訳ではない。
 きっと、母の事を考えたくなかったから。
 あの時、もしも、母が浮気なんてしていなかったら…私は彼氏と温かな思いを持ち続けていられただろうか。
 ううん。 無理なんだよね。
 そう。 無理。
 一生続く愛なんてないのだ。 

 本屋に立ち寄り新しい本を買う。
 家にある本はダメだ…
 読んだ当時の事がフラッシュバックしてしまうから。
 あの頃の虚しさ、自分の弱さ、対抗心、反抗心…
 幼かったとは言えない年齢だった。 でも、私の行動は幼すぎて後悔することばかり。
「全然大人になれてないな…」
 あの頃も今も、何も変わっていない。
 自分の考えを曲げることができずに人への思いやりも持てずに、だけどそれでも自分ではそれでいっぱいいっぱいで…
 一冊の本が目に飛び込んできた。
 話題の携帯小説ついに文庫化!
 携帯小説。 読んだことはないけれど、映画化された作品があることは知っていた。
 読んでみようかな。
 いつもは読まないファンタジー作品。
 人間の背には羽根があり、竜がいるような世界観。
 新鮮だな。
 その作者は女性とも男性ともいえない名前。
 虹河ヒカル。
 いかにもペンネームという雰囲気。
 でも私にはその名前に覚えがあった。
 姓は漢字違い、名は漢字ではなくカタカナではあるが…
 今日一日思い出してばかりいた学生時代の彼氏、虹川光。

 …小説家になったのだろうか。 それとも、ただの偶然なのだろうか。
 もしも、この作者が本人だったのなら、喜ばしい事だ。
 私は不思議の国のアリスのキャラクターは大好きだったけれど、ファンタジーはあまり読まず、少しでも恋愛が絡まれている作品を好んでいた。
 彼氏は私の好きなジャンルとは違う作品ばかりを読んでいたけれど、本当に本が好きな人だった。
「そんな偶然あるわけないか…」
 自分の思考に苦笑いしながらその本を手にレジへと向かった。
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