目を閉じたら、別れてください。
無口で寡黙で真面目な彼はどこですか。
「都築さん、今手が空いてますか?」
事務所にパタパタと駆けこんできたのは、新卒の入社一年目の可愛い後輩、泰城恵。
頑張って泣くのを堪えていたのだろう目が真っ赤なウサギのようになっていた。
「大丈夫ですよ。どうされました?」
「クレームです。家の騒音がーってすっごい剣幕で怒ってて」
「電話?」
「事務所に来てるんですう」
なるほど。事務所内を見ると、休憩で出払っていて対応できるのが私だけ。
あと数十分まてば営業課の人たちも戻ってくると思うけど、待たせてもいい結果にならないことは分かっている。

「分かった。私が対応するから、お茶頼むね」
「すいません。おねがいしますう」
慌てて扱けそうになりながら、給湯室へ走っていく。
そんな後輩を見ながら、お腹の傷を抑えつつため息を吐く。

『神山商事不動産』
お堅い名前まんま賃貸や管理が主だけれど都内に数店舗事務所を抱えている不動産屋。
うちは本社から少し離れた小さな事務所で、やや田舎寄り。
けれど森の中にある喫茶店やいい匂いのするパン屋、怪しい骨董品屋と並んだ事務所の中で、いろんな家の管理をするのは楽しい。

私の叔父が此処で務めているツテで、事務所で働いていて主に電話の対応やデータの管理をしている。
本社からこちらに移動して一年が経ってきたけど、殺伐としていないし不動産の管理人がおじいちゃんおばあちゃんが多くてアットホームで気にいっている。

ので、騒音苦情は初めてのことだった。
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