檸檬の黄昏

秘密


茄緒がメールチェックをしていると。

取材の申し込みがある。
差出人には地方新聞社の社名、担当者名に石田とあった。


「ああ。この前、招待された講演会で会った記者さんだ。本当に連絡をくれたんだ」


メールを読んだ敬司が顎をなでる。


「あの時間は講演会の先生への取材の時間だったのに、喫煙所にいたんだ。ワケありっぽいな」
「あの石田さんが珍しい。この前、招待された講演会ですね」
「綺麗な弁護士の先生だったよ。パンフレットある」


敬司はデスクの引き出しから、それを取り出した。


「これだ、禿雅史弁護士講演会。来月、こっちでもやるんだよな。招待が来てるんだ」


名前までは知らなかった茄緒の心臓が、音をたてる。
顔をあげ敬司を見る。


「女のお客さんが多かったな。テレビにも出てるとかで、有名人みたいだ」


茄緒は平静を装う。


「でもうちの有名人といえば、やっぱり茄緒ちゃんだぜ。道の駅の記事に茄緒ちゃん、出てるんだろう?」
「有名人だなんて……そんなことは」
「まったくだ」


ないです、茄緒が云いかけたところで耕平が吐き捨てる。


「仕事に支障がでる。断れ」


と耕平は云った。


「やっぱりねえ、気難しいな、うちの社長は」


予想通りの反応に、敬司が楽しそうに口を開いた。


「なんだ?」
「そう云うと思って、返事は保留しておいた。まあ、こっちにも都合はあるからな。メディアを利用しない手はない」


耕平が最後の言葉に反応する。
パソコン作業をやめ、椅子にもたれた。


「ああ……。人事か」
「ご名答。さすか相棒、感がいい」
「?」


話を理解出来ていない茄緒に敬司は口を開いた。

会社を大きくしようとしていること。
人を新たに雇おうとしていること。
今回のメディア取材は、人材を集める宣伝に利用しようとしていること。

などを話した。
そして。


「わたしを正社員に?」


敬司は頷き、茄緒は目を丸くする。
茄緒を雇う条件、給与、待遇も全て話す。
茄緒は専務として雇いたい、と敬司が云った。


「悪い話じゃないと思うんだけど、どうだろう?」
「せ、専務?」


茄緒は聞き返した。


「茄緒ちゃんは才能ある。お世辞じゃない。おれは意外と仕事は淡白だ。食べ物は何でも好きだが」


敬司は云った。


「どうだい?」
「……ごめんなさい。わたし無理です」


茄緒は目を反らす。
早い返事に、敬司は茄緒を見る。



「それはどうして?」
「家の契約が一年、ということもあります。今、新しい家と仕事を探していまして」
「だから掛け持ちアルバイトだったのかい」
「はい。嬉しいお話、ありがとうございます」



茄緒は申し訳なさそうに頭を下げる。



「ここは単なる時間稼ぎというわけか」



黙って聞いていた耕平が口を開いた。

耕平は茄緒の履歴書を見ている。
次々と職業を変えていることを指摘しているのだ。

茄緒は何も云えなかった。



「いい加減にしろ」



無言のまま茄緒は下を向いた。



「おれを見ろ、茄緒。下を向くな」



敬司はそれ以上、口を挟まず耕平もそのままだ。
時間が流れ茄緒がゆっくりと顔を上げ、耕平を見る。

耕平は頬杖をついたまま、真っ直ぐに茄緒を見つめていた。

耕平が怒っている。

茄緒はビクリと身をすくめた。
今までの仕事上のミスや指摘なんかは比べて物にならないほどの怒りを感じた。

耕平が口を開く。


「家が一年契約だから、なんだ?そんなものが理由になるか。おれも会社も同じだ」


耕平さんには関係ない

茄緒は云いたかったが、言葉が出て来なかった。



「……」
「おれと敬司は信用できないのか?」



茄緒は首を横に振る。



「仕事が飽きたのか?まあ、つまらん会社かもな」
「そんなわけ、ありません」



茄緒は手を握りしめた。



「わたしだって、本当は」


茄緒は振り絞るように口を開く。
耕平に自分の何がわかるというのか。



「ずっと、ここにいられたら、って。本当は」
「いればいい」



耕平が即答する。



「いいか。おれと敬司と、あんた。三人で会社を大きくする。今のここの状況はわかるだろう?茄緒、あんたが絶対に必要だ」



耕平が感情を出すことはあまりない。
しかしこの時の彼は、それを露にしていた。



「海外に支店も作る。それが目標だ。副業でも何でもやればいい。ただし、ここは辞めさせない」



敬司が耕平の肩を掴んだ。


「耕平、もうやめろ。それはハラスメントだ。茄緒ちゃんだって悩んでいたんだ。今日はもうお開きにしよう」


敬司が茄緒の方を見る。


「茄緒ちゃん、ごめん。おれが勝手に会社を大きくしたいと浮かれていたんだ。この週末、良ければ考えておいてほしい」


もちろん、もっと時間をかけて構わないから、と続けた。


「……はい」


茄緒は頷いた。

時間は夜八時を回っている。

石田への取材日についての返信をすると、茄緒はそこで業務を終え、礼をして事務所から帰って行った。

< 53 / 85 >

この作品をシェア

pagetop