ひと雫おちたなら
1 うたた寝

細くてすらっとした彼の手は、絵を描いているわりにはとても清潔感に溢れていた。
それを言うと、ふっと微笑むのも知っている。

「爪が汚かったら、飲食店でバイトなんてできないよ」

……それは、そうなんだけど。



初めて彼に会った時の印象は、そのちょっと独特な雰囲気がまさに「芸術家」って感じだった。そんなとてもざっくりとした印象しか残っていないのは、そのあと数え切れないほど「芸術家」とは違う顔を見たからだ。

くしゃっとしてあちこちにはねた寝相そのままの髪の毛も、少し色白なところも、たまにSっ気があることを言い出すのも、あまり出会ったことのないタイプの男の子で興味がわいた。

ふわふわしているようでいて、決して人には左右されない強い意志がその色素の薄い瞳から見え隠れしていて、でもそういう感情をなるべく見せないようにしているのも知っていた。


─────あのピアノの曲は、今でもしっかり覚えている。
彼はいつもイヤホンでそれを聴きながら、絵を描いていた。

繊細で、わだかまりがなくて、澄んでいて、その分野においては知識のない私でも引き込まれる、表現のしようがない彼の絵。


好きだとか、付き合おうとか、そういう話をするまでに至らなかったのにはいくつか原因があるとは思うのだが。


あの頃、たしかに私は彼に惹かれていた。
好きだった。













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