Crazy for you  ~引きこもり姫と肉食シェフ~
6.

ひと月あまり、ようやく香子の恋人疑惑も終息した頃。

「なあにぃ!?」

橘は電話口に怒鳴った。

「香子が倒れただと!? 容体は!?」
『意識もない状態で……! 病院で手当てをしていて、原因はまだ……』

電話の向こうから、香子のマネージャー、田所の泣き出しそうな声がする。

「死ぬのか!?」
『いえ、それは……』
「今夜は生放送があるんだぞ!? 這ってでも来られるのか!?」
『それは無茶ですよぉ』
「二時間の香子の特集なんだぞ!? 香子本人がいなくてどうする!?」
『そんな事言われてもぉ』

事務所中に響き渡る橘の声を、龍一が聞きつけてやってくる。

「歌だけでつなぐのか!? いや、半分はトークになってる! 歌手に二曲ずつ歌わせて埋め合わせになるか、いや、そんな番宣じゃなかった! しかし倒れたと言ってなんとか……!」

一人わめく橘の肩を、龍一がつつく。

「なんでい……!」
「落ち着けよ、親父。田所ちゃんも焦ってんじゃん」
「え、ん、ああ……」

龍一の声に、橘も冷静さを取り戻す。

「とりあえず、親父は局に行けよ、先方に倒れたことは伝えて」
「おお」
「田所ちゃんは、香子のケア、よろしく」

それを橘が伝えると、受話器の向こうから元気な返事が聞こえた。

「俺もあとで局行くわ。それまで時間持たせて」

言って社用車の鍵を手に取った。

「ああ、頼むぜ。ああったく、香子のヤツ、相当無茶を重ねてやがったな!」
「ここに来て緊張の糸を切られてもねえ」

苛立つ橘とは裏腹に、龍一は笑顔で事務所を後にした。


***


莉子は今日もパソコンに向かって仕事に邁進していた。
そこに聞こえてくるインターフォンの音。特に注文した物もないし、訪ねて来る者もいないはず……モニターを見て、見覚えのない人物に、少し不安になりながらも莉子は受話器を取った。

「はい」
『橘龍一と、申します』
「はい……?」

全くピンとこなかった。

『橘プロの専務をしています』
「ああ……橘プロの」

香子が所属するプロダクションだと判る、いや、実は自分もなのだが。そこへ繋がる橘と言う姓に緊張が一気に緩んだ。

『すみませんが、少しお話をしたいのでちょっと出てきてもらってもいいですか?』

言われて、莉子は何の疑いもなく「はい」と返事をしていた。部屋着のままだ、これで初対面の男性と会えないと思った。鍵を握りコートだけを羽織って、部屋の明かりも点けたまま部屋を出る。

生放送の放送開始まで、あと2時間と迫っている。





一時間半後、莉子は香子の衣装を着て、スタジオを椅子に座っていた。

(なんで……!?)

マンションのロビーで香子が倒れたと教えられた。驚く莉子を龍一は車に乗せた。なんとなくそのまま病院へ行くのだろうと莉子は思っていたのに。

一時間以上かけて着いた先はテレビ局だった、Cacco with bangが常連と言っていい音楽番組を生放送している局で、今日は確かに放送日だった。しかし莉子は香子のスケジュールまで把握していない、今日が2時間の特番であることなど知る由もない。

Cacco様と書かれた楽屋に案内されて、見知った橘社長だけがいて、さすがの莉子も状況が飲み込めた。帰る、帰さないの押し問答をしながら、莉子は女性スタッフによって香子の衣装に着替えさせられ、化粧もされた。

生放送に穴が開いたら困る、観客だって200人も集まってる、今日だけは香子のふりをしてくれと、大の大人二人に頭を下げて頼まれ、莉子も声高に拒絶ができなくなってしまう。 そして、周りでスタッフが慌ただしく右往左往する中、ソファーに座らされた莉子に、龍一が耳打ちする。
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