Crazy for you ~引きこもり姫と肉食シェフ~
「そうなんだあ、こんな美人姉妹じゃ、ご両親も鼻高々でしょうねえ! ましてやお姉さんは歌姫とまで言われるまでになって! 莉子さんはお歌は?」
アドリブで言われて莉子は頭を左右に振っただけだった、尊は無言で月子を睨み付ける。 まずいことを聞いたか、月子は内心焦りつつも名女優の本領発揮でそんな事は瞳にも映さずに笑顔で続ける。
「なーんか素敵なカップルでいいなあー、羨ましくなっちゃう! うん、尊くんの恋路、応援しちゃうね! ねえ、お腹空いちゃったの! オススメもらってもいい?」
尊は快諾すると莉子を連れて厨房へ戻った、カメラから外れて莉子は大きく息を吐く。
「大丈夫か? もう奥で休んでな」
「ん……」
心持ち青ざめた莉子の顔を覗き込んで、尊はそっと髪を梳く様に撫でてそのまま抱き寄せる。
そんな姿を、月子は盗み見ていた。
「──そっかあ……」
呟いていた。
(たけちゃんがそんな風に女の子気遣って優しくしてるのなんか、初めて見たな……)
むしろ強引で乱暴な印象が強い、そんな尊を女達は喜んでいた。冷たくされると燃えるような女性が多かった。
月子の知っている尊ならば、面倒な女はさっさと別れていただろう。こんな騒ぎに巻き込まれるような女はお断りだった筈だ。だから、自分は、そばには行けなかった。
(それだけ本気、ってことなのかなあ)
唇を噛んでいた。
(──馬鹿みたい、勝手に片思いして、そのくせうまく行くようにってこんなスタッフまで引き連れてきて……)
溜息を吐きかけると、既にセッティングの終わっているテーブルに座るよう案内された。窓際のテーブルで座って待つと、ウェイターが前菜から運んでくる。メインディッシュは尊が持ってきた。説明を受けながら食事を口に運ぶ。
(あー、相変わらず尊のご飯、美味しいー)
しかし、ここ何年も仕事を通してしか食べていない。
(昔に、戻りたいな……)
女優を始める前まで。
(私がこの道に入らなかったら、今頃尊の隣に居られたのかな……)
尊の隣にいる莉子の姿を見て、それに自分を重ねて見た。そして苦笑してしまう。
(ないな……尊には、私はいつまでも近所の女の子だもん……)
友達でもない、幼馴染だ。その溝は埋まる気がしなかった。そんなことをぼんやりと思いながら、それでも口は食事を摂り、感想を述べている。すっかり心と表面では違う事をするのが当たり前になっている。尊へも気持ちも偽って──。
最後は尊と莉子で月子を見送って、全ての撮影が終わった。
「ありがとうございましたー!」
アシスタントディレクターの元気な声が響いた。
「よかったら、皆さんでお食事を済ませてお帰りください」
尊が言うと、スタッフから歓声が上がる。厨房から、ウェイターと、シェフも一緒になってワンプレートの食事を運んでくる。スタッフは機材を置いて有り難く椅子に座った。月子も店内に戻ってくる。
「私も残り食べちゃおうっと」
撮影に使った席に戻ると、尊は離れた席に莉子を座らせた。
「莉子も食べる?」
「うん……でも軽くでいいよ」
「ん、判った」
撫でると言うより、軽く髪を乱すようにして、尊は厨房へ行く。
莉子は小さく溜息を吐いた。
「リコさん」
ディレクターが声を掛けた、莉子が座る椅子の脇に膝をついてしゃがみ、莉子と視線を合わせる。
「すんません、俺、今朝、例の記事見て、正直、うわマジかって鵜呑みにした口で……情報を発信する側として、その在り方を改めて考えさせられました」
莉子は小さく首を左右に振る。
「番組の放送は再来週の週末です、このコーナーもちゃんと放送できるように上に上げますから」
昨夜の時点では、プロデューサーも「また女優が我儘言ってるよ、撮ってきな」くらいだったのだ。しかし現状を見れば判る、この世に香子そっくりな女性がいて、ごくごく平凡な人生を歩みたいと思っていると──繁盛店のイケメンシェフが恋人で平凡かどうかは別として、ましてや実は莉子がKKと名乗っていることなど知らないディテクターは、心の底から同情した。
「噂がきちんと訂正されるよう、留意しますから。負けないでくださいね」
「ありがとうございます」
莉子は小さな声で礼を述べていた。 世の中悪い人ばかりではないと改めて知る、それまでの自分の世界がとても小さかったと反省もした。
*
店の片付けを皆でして、揃って店を出た頃には日付が変わろうとしていた。莉子と尊はタクシーで帰宅をする、マンションが近づいてきて判った。
「──済みません、二つ先の信号まで行ってください」
急な尊の変更の指示の意味を、運転手は聞かなくても理解する。指定されていたマンションの前には、あり得ない人数の人だかりができていた。
離れた場所でタクシーを降りて、遠目にその人だかりを見た尊は大きな溜息を吐いた。 元々片側三車線の大きな通りに面したマンションだ、路肩には何台もバンが並び、その反対車線側の歩道にも人がいる。いくつもの三脚が見えた、カメラを手に提げた者、肩に担いだ者も判る。
尊たちを取材に来た雑誌やテレビの記者だろう、いつからこの状態なのか、尊には見当もつかない。
「──尊……!」
莉子にだって、彼らの目的は判る。
「俺が引きつけておく、莉子は裏からこっそり入れ」
幸い、大きな通りに面したメインの入口とは離れたところに裏口がある。
「そんな……尊、大変じゃん……!」
「まあ、慣れてると言えば慣れてる、心配するな」
歩き出そうとした尊を、莉子は慌てて止める。
「こ、こっそりなんて……自信ない」
震えた手を尊は感じた、こんな莉子を一人放り出せるわけがない。
「ふむ……今日は外泊って手もあるけど……」
幸い平日だ、さすがに何処のどんなホテルでも空きはありそうだ。
「あいつらのあのままって訳にもな……」
どんなに散らしても寄ってきてしまうだろうと判る、このままでは近所迷惑だ。一度は出て話をつけるべきだろう。
「仕方ねえな……拓弥さんの力を借りますか」
尊はコートのポケットからスマホを取り出して発信した。
*
再び元町方面から走って来たタクシーはマンションの目の前で停まり、尊が颯爽と降りて来る、その姿を確認した記者達はすぐさまライトとフラッシュを浴びせ、マイクを差し向ける。
「藤堂さん!」
女の記者が声を上げる。
「雑誌の件でお話を伺いに来ました!」
「Caccoさんとのおつきあいは、いつからなんですか!?」
男性記者も声を上げる。
「香子とは付き合ってません、俺の恋人は莉子です」
「同一人物でしょう!?」
「違います」
尊は歩道のど真ん中から動けなくなる。
「Cacco の妹だとSNSにアップされたようですが、削除されましたよね、なんでですか!?」
別の女性記者が聞く。
「SNSの方は、悪意のある書き込みが酷かったので止めただけです」
「Caccoに双子の姉妹がいるなんて初めて知ったんですが! 同一人物ではないんですか!?」
「違いますよ、そもそも俺は香子を知らなくて。彼女から聞いて初めて知りました」
「Caccoを知らない!?」
取材が尊の答えに注視している中、コートのフードを目深にかぶった莉子が、拓弥の影に隠れて裏口へ向かうのが見えた。内心舌打ちする、拓弥が莉子の肩を抱いているのが見えたからだ。
(後で覚えておけ、拓弥)
心の中で睨み効かせたが意味がない。
「済みません、俺は芸能界とか興味ないので。ああ、弟は知ってましたよ、こんな有名人だったんだって、今回改めて判りましたし」
「こちらに一緒に住んでいらっしゃる?」
「ええ、まあ」
面倒でそう答えた。
「ええと。できればリコさんと並んでお話とか、写真を撮らせてもらいたいんですけど。 呼んでいただけないでしょうか」
「雑誌に載っていたんでしょう? あれで十分ですよ」
「え、そんな事言って、実は今はテレビ局とか……?」
「彼女は香子じゃありません。芸能界なんて関係ない、一般市民です、まあそれは俺もですけど。こんな取材とか受けるような立場じゃないので、勘弁してもらえませんか?」
「Caccoじゃないと言う証拠は?」
「そんなもの、彼女の地元にでも行けばゴロゴロしているでしょう。こんなとこで俺なんかに聞くより余程確かな情報が得られますよ」
「いえ、藤堂さんの恋人がCaccoではないと言う証拠を……」
尊は内心溜息を吐いた、堂々巡りだ。
(この際莉子だろうが香子だろうが、俺が誰と付き合おうとどうでもいいだろうに)
単に面白がっているだけだと思うと、余計に腹が立ってくる。そんな事に真面目に答えている自分はゴシップに片棒を担いでいるだけに情けない。
ひとえに、大切な人を守りたい一心だった。
*
翌日の朝、尊が店に来ると階段に腰掛けている女がいた。キャップを目深にかぶり、ジーンズにダッフルコート姿、一瞬は愛しい人と見間違える、その体格──。
人の気配に気づいた香子が、キャップを上げながら顔を上げて尊を見つけた。
「──おはよ」
「何の用だ」
不機嫌に睨み付ける尊に、香子は溜息をひとつ吐いて立ち上がり、臀部の埃を払う。
「朝から事務所の電話が鳴りっぱなしだって連絡があってね。芸能記者がそちらに押しかけたらしいわね」
「ああ、いい迷惑だ」
「単純に、あの写真は私だとしてくれたら、そこまでの騒ぎになってなかったかもよ?」
「まだ言ってんのか」
「今からでも遅くないわよ。今日、これから私も記者会見だって。その時あの写真は私だって言うから……」
「これ以上、引っ掻き回すな」
冷たく凛とした言葉に、香子は息を呑んで尊を見上げる。化粧ひとつしていない顔に、かなりラフな格好は確かに莉子を思わせた、それでも尊は攻撃の手を緩めない。
「嘘でもあんたみたいな女と付き合ってるなんて言いたくない」
「私みたいな女? 莉子と同じ顔なのに。私と莉子の何が違うのよ?」
「本気で言ってんのか」
「抱いてみたら判るわよ、きっと私を好きになる──」
近付こうとした香子だったが、尊は冷たい瞳で睨み牽制する。そんな小さな行動で判る、この男は今までの男とは違うと。
「莉子の──何処がいいのよ?」
思わず聞いていた。
「あんたみたいに厚かましくないところ」
尊はにやりと笑って答える。
「失礼ね」
「記者会見とやら、俺も行ってやろうか」
尊の提案に、香子は一瞬喜びを見せる。
「莉子も連れてな。二人並びゃ双子なのは一目瞭然だろ。そこでKKは莉子だと言ってやるよ。そうすりゃ莉子はあんたの呪縛から逃れられるし、噂も収まる。一石二鳥だ」
香子は奥歯を噛み締めた。
「そんな事は許さない、って顔だな。だったらもう俺の前に姿を見せるな。あんたが大人しくしててくれりゃ俺も何もしない。いずれは莉子にあんたの手伝いは辞めさせる。そうなる前に準備はしておけよ」
拳を握り締めた香子の脇をすり抜け、尊は店への階段を上がっていく。
「──なんでよ」
呟き唇を噛む。
初めて感じると言っていい屈辱だった、それが妹の恋人にもたらされたとは──。行き場のない焦りや怒りが溢れて来る、しかしその感情のやり場がなかった。
誰にも知られたくない、手痛く振られた事も、莉子の秘密も。
*
『本当に、いい迷惑ですよぉ』
テレビの中の香子が、明るい笑顔で言う。
『本当にねえ! あんなイケメンだから私が恋人って事にしたいんですけどぉ。残念ながら妹の恋人なんですよぉ!』
ソファーで膝を抱えながら、莉子はそのワイドショーを観ていた。朝からモザイクや背中からの映像と、声の変えられた尊の言葉が放送されていた。そして昼からは香子の映像に変わった。
事務所の一室で行われた記者会見だが、そんな事は莉子は知る由もない。
『妹ですよ、本当にいます! 地元に問い合わせてくださいよー! 高校まで同じだったから卒アル見てくれたら判りますから!』
こんなに懸命に他人だと言い触らさないといけない程、自分達は似ているのかと思い知らされる。
『交際してるのは莉子です! 私は現在フリー、恋人募集中! イケメンシェフとやらさえ良ければ、私が付き合ってほしいくらい!』
それが香子の本心だろうと判る。
『ええ、相手の人には何度か逢ってますよ!』
それはどんな状況なのか、言えるのか。
『もう莉子にベタ惚れでねぇ、同じ顔なのに私なんかあっち行けって態度ですよぉ? 顔に惚れたんじゃないんでしょうね。えーもー、まだ信じないのー? だったら私に24時間密着するー? でも三日くらいね、それ以上イケメンシェフに逢わないと具合悪くなりそう……あはは、嘘、嘘! 本当に、雑誌の写真みたく二人きりで逢う事なんかないから!』
その雑誌を、拓弥が買っていたので見せてもらった。
尊といると、自分があんなにも輝くような笑顔でいるのだと初めて知った 家族で撮った写真とは別人だった、それだけに人が香子だと勘違いするのも頷ける。
「恋をすると女は綺麗になるって……本当なんだな……」
言って吹き出してしまう、自分で自分を綺麗だと言ってしまったと。
「でも……大好きなんだもん……」
ソファーの淵に掛けた脚を抱きかかえた。今だってそばにいたいと思う、できるなら四六時中触れ合っていたいと。
アドリブで言われて莉子は頭を左右に振っただけだった、尊は無言で月子を睨み付ける。 まずいことを聞いたか、月子は内心焦りつつも名女優の本領発揮でそんな事は瞳にも映さずに笑顔で続ける。
「なーんか素敵なカップルでいいなあー、羨ましくなっちゃう! うん、尊くんの恋路、応援しちゃうね! ねえ、お腹空いちゃったの! オススメもらってもいい?」
尊は快諾すると莉子を連れて厨房へ戻った、カメラから外れて莉子は大きく息を吐く。
「大丈夫か? もう奥で休んでな」
「ん……」
心持ち青ざめた莉子の顔を覗き込んで、尊はそっと髪を梳く様に撫でてそのまま抱き寄せる。
そんな姿を、月子は盗み見ていた。
「──そっかあ……」
呟いていた。
(たけちゃんがそんな風に女の子気遣って優しくしてるのなんか、初めて見たな……)
むしろ強引で乱暴な印象が強い、そんな尊を女達は喜んでいた。冷たくされると燃えるような女性が多かった。
月子の知っている尊ならば、面倒な女はさっさと別れていただろう。こんな騒ぎに巻き込まれるような女はお断りだった筈だ。だから、自分は、そばには行けなかった。
(それだけ本気、ってことなのかなあ)
唇を噛んでいた。
(──馬鹿みたい、勝手に片思いして、そのくせうまく行くようにってこんなスタッフまで引き連れてきて……)
溜息を吐きかけると、既にセッティングの終わっているテーブルに座るよう案内された。窓際のテーブルで座って待つと、ウェイターが前菜から運んでくる。メインディッシュは尊が持ってきた。説明を受けながら食事を口に運ぶ。
(あー、相変わらず尊のご飯、美味しいー)
しかし、ここ何年も仕事を通してしか食べていない。
(昔に、戻りたいな……)
女優を始める前まで。
(私がこの道に入らなかったら、今頃尊の隣に居られたのかな……)
尊の隣にいる莉子の姿を見て、それに自分を重ねて見た。そして苦笑してしまう。
(ないな……尊には、私はいつまでも近所の女の子だもん……)
友達でもない、幼馴染だ。その溝は埋まる気がしなかった。そんなことをぼんやりと思いながら、それでも口は食事を摂り、感想を述べている。すっかり心と表面では違う事をするのが当たり前になっている。尊へも気持ちも偽って──。
最後は尊と莉子で月子を見送って、全ての撮影が終わった。
「ありがとうございましたー!」
アシスタントディレクターの元気な声が響いた。
「よかったら、皆さんでお食事を済ませてお帰りください」
尊が言うと、スタッフから歓声が上がる。厨房から、ウェイターと、シェフも一緒になってワンプレートの食事を運んでくる。スタッフは機材を置いて有り難く椅子に座った。月子も店内に戻ってくる。
「私も残り食べちゃおうっと」
撮影に使った席に戻ると、尊は離れた席に莉子を座らせた。
「莉子も食べる?」
「うん……でも軽くでいいよ」
「ん、判った」
撫でると言うより、軽く髪を乱すようにして、尊は厨房へ行く。
莉子は小さく溜息を吐いた。
「リコさん」
ディレクターが声を掛けた、莉子が座る椅子の脇に膝をついてしゃがみ、莉子と視線を合わせる。
「すんません、俺、今朝、例の記事見て、正直、うわマジかって鵜呑みにした口で……情報を発信する側として、その在り方を改めて考えさせられました」
莉子は小さく首を左右に振る。
「番組の放送は再来週の週末です、このコーナーもちゃんと放送できるように上に上げますから」
昨夜の時点では、プロデューサーも「また女優が我儘言ってるよ、撮ってきな」くらいだったのだ。しかし現状を見れば判る、この世に香子そっくりな女性がいて、ごくごく平凡な人生を歩みたいと思っていると──繁盛店のイケメンシェフが恋人で平凡かどうかは別として、ましてや実は莉子がKKと名乗っていることなど知らないディテクターは、心の底から同情した。
「噂がきちんと訂正されるよう、留意しますから。負けないでくださいね」
「ありがとうございます」
莉子は小さな声で礼を述べていた。 世の中悪い人ばかりではないと改めて知る、それまでの自分の世界がとても小さかったと反省もした。
*
店の片付けを皆でして、揃って店を出た頃には日付が変わろうとしていた。莉子と尊はタクシーで帰宅をする、マンションが近づいてきて判った。
「──済みません、二つ先の信号まで行ってください」
急な尊の変更の指示の意味を、運転手は聞かなくても理解する。指定されていたマンションの前には、あり得ない人数の人だかりができていた。
離れた場所でタクシーを降りて、遠目にその人だかりを見た尊は大きな溜息を吐いた。 元々片側三車線の大きな通りに面したマンションだ、路肩には何台もバンが並び、その反対車線側の歩道にも人がいる。いくつもの三脚が見えた、カメラを手に提げた者、肩に担いだ者も判る。
尊たちを取材に来た雑誌やテレビの記者だろう、いつからこの状態なのか、尊には見当もつかない。
「──尊……!」
莉子にだって、彼らの目的は判る。
「俺が引きつけておく、莉子は裏からこっそり入れ」
幸い、大きな通りに面したメインの入口とは離れたところに裏口がある。
「そんな……尊、大変じゃん……!」
「まあ、慣れてると言えば慣れてる、心配するな」
歩き出そうとした尊を、莉子は慌てて止める。
「こ、こっそりなんて……自信ない」
震えた手を尊は感じた、こんな莉子を一人放り出せるわけがない。
「ふむ……今日は外泊って手もあるけど……」
幸い平日だ、さすがに何処のどんなホテルでも空きはありそうだ。
「あいつらのあのままって訳にもな……」
どんなに散らしても寄ってきてしまうだろうと判る、このままでは近所迷惑だ。一度は出て話をつけるべきだろう。
「仕方ねえな……拓弥さんの力を借りますか」
尊はコートのポケットからスマホを取り出して発信した。
*
再び元町方面から走って来たタクシーはマンションの目の前で停まり、尊が颯爽と降りて来る、その姿を確認した記者達はすぐさまライトとフラッシュを浴びせ、マイクを差し向ける。
「藤堂さん!」
女の記者が声を上げる。
「雑誌の件でお話を伺いに来ました!」
「Caccoさんとのおつきあいは、いつからなんですか!?」
男性記者も声を上げる。
「香子とは付き合ってません、俺の恋人は莉子です」
「同一人物でしょう!?」
「違います」
尊は歩道のど真ん中から動けなくなる。
「Cacco の妹だとSNSにアップされたようですが、削除されましたよね、なんでですか!?」
別の女性記者が聞く。
「SNSの方は、悪意のある書き込みが酷かったので止めただけです」
「Caccoに双子の姉妹がいるなんて初めて知ったんですが! 同一人物ではないんですか!?」
「違いますよ、そもそも俺は香子を知らなくて。彼女から聞いて初めて知りました」
「Caccoを知らない!?」
取材が尊の答えに注視している中、コートのフードを目深にかぶった莉子が、拓弥の影に隠れて裏口へ向かうのが見えた。内心舌打ちする、拓弥が莉子の肩を抱いているのが見えたからだ。
(後で覚えておけ、拓弥)
心の中で睨み効かせたが意味がない。
「済みません、俺は芸能界とか興味ないので。ああ、弟は知ってましたよ、こんな有名人だったんだって、今回改めて判りましたし」
「こちらに一緒に住んでいらっしゃる?」
「ええ、まあ」
面倒でそう答えた。
「ええと。できればリコさんと並んでお話とか、写真を撮らせてもらいたいんですけど。 呼んでいただけないでしょうか」
「雑誌に載っていたんでしょう? あれで十分ですよ」
「え、そんな事言って、実は今はテレビ局とか……?」
「彼女は香子じゃありません。芸能界なんて関係ない、一般市民です、まあそれは俺もですけど。こんな取材とか受けるような立場じゃないので、勘弁してもらえませんか?」
「Caccoじゃないと言う証拠は?」
「そんなもの、彼女の地元にでも行けばゴロゴロしているでしょう。こんなとこで俺なんかに聞くより余程確かな情報が得られますよ」
「いえ、藤堂さんの恋人がCaccoではないと言う証拠を……」
尊は内心溜息を吐いた、堂々巡りだ。
(この際莉子だろうが香子だろうが、俺が誰と付き合おうとどうでもいいだろうに)
単に面白がっているだけだと思うと、余計に腹が立ってくる。そんな事に真面目に答えている自分はゴシップに片棒を担いでいるだけに情けない。
ひとえに、大切な人を守りたい一心だった。
*
翌日の朝、尊が店に来ると階段に腰掛けている女がいた。キャップを目深にかぶり、ジーンズにダッフルコート姿、一瞬は愛しい人と見間違える、その体格──。
人の気配に気づいた香子が、キャップを上げながら顔を上げて尊を見つけた。
「──おはよ」
「何の用だ」
不機嫌に睨み付ける尊に、香子は溜息をひとつ吐いて立ち上がり、臀部の埃を払う。
「朝から事務所の電話が鳴りっぱなしだって連絡があってね。芸能記者がそちらに押しかけたらしいわね」
「ああ、いい迷惑だ」
「単純に、あの写真は私だとしてくれたら、そこまでの騒ぎになってなかったかもよ?」
「まだ言ってんのか」
「今からでも遅くないわよ。今日、これから私も記者会見だって。その時あの写真は私だって言うから……」
「これ以上、引っ掻き回すな」
冷たく凛とした言葉に、香子は息を呑んで尊を見上げる。化粧ひとつしていない顔に、かなりラフな格好は確かに莉子を思わせた、それでも尊は攻撃の手を緩めない。
「嘘でもあんたみたいな女と付き合ってるなんて言いたくない」
「私みたいな女? 莉子と同じ顔なのに。私と莉子の何が違うのよ?」
「本気で言ってんのか」
「抱いてみたら判るわよ、きっと私を好きになる──」
近付こうとした香子だったが、尊は冷たい瞳で睨み牽制する。そんな小さな行動で判る、この男は今までの男とは違うと。
「莉子の──何処がいいのよ?」
思わず聞いていた。
「あんたみたいに厚かましくないところ」
尊はにやりと笑って答える。
「失礼ね」
「記者会見とやら、俺も行ってやろうか」
尊の提案に、香子は一瞬喜びを見せる。
「莉子も連れてな。二人並びゃ双子なのは一目瞭然だろ。そこでKKは莉子だと言ってやるよ。そうすりゃ莉子はあんたの呪縛から逃れられるし、噂も収まる。一石二鳥だ」
香子は奥歯を噛み締めた。
「そんな事は許さない、って顔だな。だったらもう俺の前に姿を見せるな。あんたが大人しくしててくれりゃ俺も何もしない。いずれは莉子にあんたの手伝いは辞めさせる。そうなる前に準備はしておけよ」
拳を握り締めた香子の脇をすり抜け、尊は店への階段を上がっていく。
「──なんでよ」
呟き唇を噛む。
初めて感じると言っていい屈辱だった、それが妹の恋人にもたらされたとは──。行き場のない焦りや怒りが溢れて来る、しかしその感情のやり場がなかった。
誰にも知られたくない、手痛く振られた事も、莉子の秘密も。
*
『本当に、いい迷惑ですよぉ』
テレビの中の香子が、明るい笑顔で言う。
『本当にねえ! あんなイケメンだから私が恋人って事にしたいんですけどぉ。残念ながら妹の恋人なんですよぉ!』
ソファーで膝を抱えながら、莉子はそのワイドショーを観ていた。朝からモザイクや背中からの映像と、声の変えられた尊の言葉が放送されていた。そして昼からは香子の映像に変わった。
事務所の一室で行われた記者会見だが、そんな事は莉子は知る由もない。
『妹ですよ、本当にいます! 地元に問い合わせてくださいよー! 高校まで同じだったから卒アル見てくれたら判りますから!』
こんなに懸命に他人だと言い触らさないといけない程、自分達は似ているのかと思い知らされる。
『交際してるのは莉子です! 私は現在フリー、恋人募集中! イケメンシェフとやらさえ良ければ、私が付き合ってほしいくらい!』
それが香子の本心だろうと判る。
『ええ、相手の人には何度か逢ってますよ!』
それはどんな状況なのか、言えるのか。
『もう莉子にベタ惚れでねぇ、同じ顔なのに私なんかあっち行けって態度ですよぉ? 顔に惚れたんじゃないんでしょうね。えーもー、まだ信じないのー? だったら私に24時間密着するー? でも三日くらいね、それ以上イケメンシェフに逢わないと具合悪くなりそう……あはは、嘘、嘘! 本当に、雑誌の写真みたく二人きりで逢う事なんかないから!』
その雑誌を、拓弥が買っていたので見せてもらった。
尊といると、自分があんなにも輝くような笑顔でいるのだと初めて知った 家族で撮った写真とは別人だった、それだけに人が香子だと勘違いするのも頷ける。
「恋をすると女は綺麗になるって……本当なんだな……」
言って吹き出してしまう、自分で自分を綺麗だと言ってしまったと。
「でも……大好きなんだもん……」
ソファーの淵に掛けた脚を抱きかかえた。今だってそばにいたいと思う、できるなら四六時中触れ合っていたいと。