偶然でも運命でもない
9.花の日
響子にとって、水曜日は花の日だ。
駅ナカの花屋さんでは、水曜日だけのサービスがある。
季節の花が1〜2種類、通常よりもずっと手に取りやすい値段で売られている。
今週は、コスモス、それと、小さな実のついた枝もの。
店頭には白・ピンク・赤・オレンジ・黄色と、色とりどりのコスモスが並んでいる。
「お。可愛い。」
薄く可憐な花びらは、瑞々しくて、思わず声に出して呟く。
コスモスの枝に手を伸ばすと、その花越しに、大河が歩いてくるのが見えた。
紺のブレザーに、グレーのスラックス。よく履き込んだ黒いローファー。多少の形崩れには目を瞑るとしても、そのローファーは丁寧に磨かれているのがわかる。
彼は真っ直ぐにいつものホームへと向かおうとして、ふと、足を止めて振り返る。
一瞬、その視線が響子を通り過ぎて、振り返った大河は首を傾げた。歩き出そうとする大河に、響子は花の中から声を掛ける。
「大河くん。」
聞こえるか聞こえないかくらいの、小さな声。
この呼び声に大河は気付くのだろうか?
「ねぇ、ここだよ。」
囁くように小さな声で呼びかける。
誰にも聞こえないように、彼が気付きますように……。
大河は再び立ち止まって、ゆっくりとこちらを振り返った。
彼はまるで幻でも見たみたいに、少し驚いた顔をして、それから小さく笑う。
「響子さん、何やってるんすか。」
「テレパシーごっこ。大河くん、気付くかな?って。」
「いや、今、普通に呼んでたでしょ。」
「うん。呼んだ。コスモス選んでたら、通るのが見えて。」
やっぱり呼んだんじゃん。呟いて、大河は笑いながら花を眺める。
「花、買うの?」
「うん。部屋に飾るの。」
「ふーん。コスモスってこうやって売ってるんだ。」
「?」
「なんか、学校の花壇に生えてるイメージ。」
「なるほど。何色がいい?」
「え?」
「だから、大河くんはどの色が好き?」
「響子さんの部屋に飾るんでしょ?」
「そう。」
「俺が、選ぶの?」
「そう。色だけ選んでくれればいいよ。」
「……じゃあ、この色かな。」
「うん。」
「俺、そこで待ってるから。あとはゆっくり選んでください。」
そう言って、大河は花屋の店先が見える柱に背中を預けて、スマートフォンをポケットから取り出す。
響子は、大河が示した濃いピンクのコスモスを3本と、小さな赤い実のついた枝を1本、大きめの白い実のついた枝を1本、選んで店員に渡す。
枝分かれしたコスモスは3本でも結構なボリュームになった。
自宅用に簡単に包んでもらったその花束を抱えて、大河に駆け寄ると、彼は顔を上げてスマホをポケットに戻した。
並んでホームへの階段を降りる。
呼び止めたものの特に話すことも思い浮かばず、隣に立った大河の顔を見上げると、彼はこちらを見て微笑んでいた。
「何?」
「いや、なんでもないです。」
「そう。」
ふふふ、と笑って買ったばかりの花を眺める。
ピンクのコスモスの花言葉は“乙女の純潔”。
きっと大河は知らないだろうけど。
大河がピンクを選んだのが面白くて、なんだか少し、嬉しかった。
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