私、愛しの王太子様の側室辞めたいんです!【完(シナリオ)】
第4話 「お菓子作りと拘束」
〇王城の厨房(昼)
ローズマリー「ひえっ?!」
普段後宮に男性はいない。そして――、男性から睨まれることなんて今までになかったローズマリーは、思わず肩を跳ねさせた。
女官長「ご側室様に向かってなんたる不敬!」
ブラッド「は?これが件のご側室様……?子供じゃねぇの?嘘だろ?」
神経質そうな女官長がローズマリーの一歩前に出る。対する筋肉質の男はギョッとしたようにローズマリーを見た。確かにローズマリーは童顔だから子供っぽく見えるのだけれど。
女官長「何を驚いているのです?!ご側室様に向かってなんたる無礼!!大変申し訳ございません。ローズマリー様。今すぐこの者を牢獄へ……」
ローズマリー「ちょ、ちょっと待ったあーー!!いいわよそんなの!!」
慌てて女官長に対してストップをかける。
ローズマリー(な、な、なんかすごい物騒な事を言い出しそうだった……。危ない……)
こちらはお菓子作りの教えを乞う立場である。
それなのに牢獄入りにしたとなったら、完全にローズマリーが悪者のようになる。確かに王太子の側室に向ける態度としては不敬だけれど。
王城の厨房にいる事からして、恐らくこの男が指導するお菓子職人だろうと向き直る。
ローズマリー「挨拶が遅れたわ。はじめまして、私はローズマリー・アスクウィス。元アスクウィス公爵家の第一子にして、ユリシーズ王太子殿下の第一側室よ」
お菓子職人だろう男は慌てて居住まいを正す。
ブラッド「無礼を失礼致しましたご側室様。私はブラッド・ハスラーと申します。王城の厨房で製菓部門の製菓長を務めております」
ローズマリーの自己紹介に、ブラッドは自然と背筋が伸びる。ローズマリーは幼顔だが、礼儀作法は一級のものを受けている。立ち振る舞いが上位に立つ者のそれであった。
ローズマリー「こちらこそ急にごめんなさい。いつも美味しいお菓子を作ってくれてありがとう。バターたっぷりのクッキーも、甘いショートケーキも、外はカリッとしていて中は柔らかいマカロンも私大好きなの」
ブラッド「ありがとうございます。製菓部門の皆が聞くと喜ぶでしょう」
ブラッドはニカッと笑う。ユリシーズよりも年上、二十代後半程に見える彼の厳つい顔が和らいだ。
ローズマリー「それでね。私は早速貴方に教えを乞いたいのだけれど……、大丈夫かしら?」
ローズマリーが首を傾げると、ブラッドは頷く。
ブラッド「ええ。勿論です。ユリシーズ殿下からお話は伺っております」
ローズマリー「じゃあ、さっそく教えてもらいたいのだけれど……何から始めるの?」
ブラッド「そう……ですね。それではご側室様の仰っていたバターたっぷりのクッキーはどうですか?初心者でも簡単に作れますよ」
ローズマリー「いいわね!!さっそくお願いするわ!!」
顔を輝かせたローズマリー。好物が食べられると知り、声も弾む。
ブラッド「分かりました。では用意致しますね」
ブラッドは小麦粉に砂糖、卵、そしてバターを厨房の調理台に並べ始める。そしてボウルと泡立て器、ヘラ、計り、ふるい等の調理器具も置いた。
ローズマリー「……これがあのクッキーになるの?」
ブラッド「そうですよ」
ローズマリー「不思議ね。知識としては知っていたけれど、魔法みたいだわ!」
今までお菓子を作ったことの無いローズマリーは、好奇心旺盛にブラッドの言う通りに従う。
柔らかくしたバターを泡立て器で練りながら、砂糖や卵を混ぜ、小麦粉をふるいにかける。ヘラで混ぜながら、ローズマリーはポツリと言った。
ローズマリー「い、意外と疲れるわね……」
ローズマリー(初めて……というのもあるけれど)
女官長とカリスタが見守る中、ある程度纏まったクッキー生地をボウルから出したブラッドは、苦笑した。
ブラッド「料理もそうですが、製菓も体力勝負ですからね」
ローズマリー「そうなのね。だから貴方はそんなに鍛えているのね」
ブラッド「いえ、これは趣味です」
ローズマリー「趣味……」
あっさり否定されたが、麺棒でクッキー生地を伸ばしながら、ローズマリーは首を傾げた。
ローズマリー「男の人って鍛えるのが好きなの?」
ローズマリー(ブラッド程ではないけれど、ユリシーズ様も鍛えておられるし……)
ブラッド「私は元々鍛えるのが好きなのと、職場が体力勝負なので鍛えているだけですが、他の人はどうか分かりませんね……。騎士の方々は身体を張る仕事なので、鍛えるのは義務ですし、文官の方々に筋肉質な方は少ないので、人それぞれかと」
ローズマリー「そうなの。私、全然男の人とお話した事がないから知らなかったわ」
パチパチと目を瞬かせながら、不思議そうにローズマリーは呟いた。
10年も後宮にいるので世間知らず。一部の侍女と女官に囲まれて、話す男は親族かユリシーズのみ。
外出先にて騎士とも会話を交わすことはあったが、こういった雑談は基本的にした事がない。
ブラッド「私もご側室様とお話するのは初めてです」
ローズマリー「そうよね……。普段側室は後宮の外へ出ないもの」
ブラッド「つまりご側室様は特別に大切にされているのですね」
ブラッドの何気ない言葉に、クッキー生地の型抜きをしていたローズマリーの手が止まる。
〝特別に大切〟……?
ローズマリー(いいえ。後宮に一人ずつ側室が増える度、私はユリシーズ様に失恋していったの。特別大切なんかじゃ、ない。数いる側室の一人と立場は変わらないわ)
ブラッド「ご側室様?どうされましたか?」
ローズマリー「あ、いいえ、ごめんなさい。なんでもないわ」
ローズマリーは無理矢理笑みを作った。
慌てて型抜きを再開する。
ローズマリー「ブラッド。そのご側室様という呼び方はやめて、ローズマリーって呼んで欲しいわ」
女官長「ご側室様。この様な身分を持たない平民に、ご側室様のお名前を口にする資格などありませぬ。そしてご側室様はユリシーズ殿下のもの。他の男の方が軽々しくお名前を呼んではいけません。軽率です」
チクチクと刺してくる神経質な女官長にローズマリーは唇を尖らせた。
ローズマリー「だって〝ご側室様〟なんて、沢山いるじゃない。これじゃあ私の事を指しているのか、他の人の事を指しているのか分からないわ。第一、ブラッドはお菓子作りの先生よ?」
女官長「……分かりました。ですが、それ以上軽率な振る舞いをなさるようでしたら、ユリシーズ殿下にご報告させていただきます」
ローズマリー「分かったわ……」
ローズマリーは内心溜め息をついた。
ローズマリー(女官長って、昔から私に対しての当たりが強いのよね……。もしかしたら他の人にも同じかもしれないけれど)
ブラッドはローズマリーと女官長のやり取りにオロオロしていたが、決着が着くと恐る恐るローズマリーに話し掛けた。
ブラッド「ええと、ローズマリー、様?とお呼びしても?」
ローズマリー「ええ。大丈夫よ。むしろそちらでお願いするわ」
ブラッド「分かりました」
型抜きをした所で、クッキー生地をオーブンの中に入れる。何だかんだ色々あったが、ローズマリーは達成感でいっぱいだった。
ローズマリー(初めてお菓子を作ったのだもの……!)
オーブンからクッキーの焼けるいい匂いが漂ってきた頃、侍従を引き連れたユリシーズが厨房に姿を現した。ブラッドも女官長もカリスタも彼を見て一礼する。
ローズマリー「ユ、ユリシーズ様?!」
突然のユリシーズ登場に、ローズマリーはびっくりした声を出した。
ユリシーズ「やあ、ローズマリー。すごくいい匂いがするけれど、どうだい?上手にお菓子作れている?」
ローズマリー「え、ええ。上手くできているわ。そうよね?ブラッド」
ブラッド「はい。初めてでもローズマリー様はスラスラと作業なさっておられましたので、上達は早いかと思われます」
ローズマリー「ですって!」
ブラッドの褒めに、ローズマリーはキラキラと瞳を輝かせる。褒められたのが単純に嬉しかっただけだが、ユリシーズはブラッドがローズマリーの名前を呼んだ所で、眉毛をピクリと動かした。
ユリシーズ「へえ。……随分と仲良くなっているみたいだね」
ユリシーズはやや抑えた低い声を出した。少し高圧的な響き。それに気付かなかったローズマリーは朗らかな声で同意した。
ローズマリー「それは勿論よ!だってブラッドは私の先生だもの!」
ユリシーズ「そうなんだ……?」
思いっきりユリシーズの声が不穏になった時、ローズマリーはやっとユリシーズが不機嫌だと気付いて冷や汗が流れる。
ローズマリー(え、何?!何でかしら?!)
ローズマリーの焦りを見ながら、ユリシーズはローズマリーの腰に手を回して引き寄せた。そして、ローズマリーの口を塞ぐ。何人もの人がいる前で口付けされたローズマリーは、思わずユリシーズの胸元を叩いた。
ローズマリー「ちょ、ユリシーズ様?!」
やっと唇が離れたローズマリーの非難めいた声を受けながら、ユリシーズはペロリと唇を舐めて艶然と微笑んだ。
ユリシーズ「駄目だよローズマリー。僕以外の男と仲良くしちゃ」
ローズマリー「ブラッドはそういう関係じゃないわ!!」
思わず反論したローズマリーだったが、ユリシーズはさらに目を細めるだけだった。ユリシーズはブラッドに視線を移す。そして冷え冷えとした声を出した。
ユリシーズ「お前。ローズマリーには絶対手を出すなよ」
ブラッド「弁えております」
腰に手を回されながら、ローズマリーはユリシーズに向かって膨れっ面をした。
ローズマリー「違うわユリシーズ様。ブラッドが私に手を出す訳ないじゃない。ごめんなさいブラッド」
ブラッド「いえ」
ユリシーズ「僕は手が出したい位、ローズマリーの事魅力的に映っているけど」
明らかに〝閨の儀〟のことを示唆されて、ローズマリーは羞恥で赤くなりながらユリシーズから離れようと胸元を押した。
ローズマリー「っ!そんなこと言っていると、クッキーあげないわ!!」
ユリシーズ「それは困るね」
クスクスと笑いながら、ローズマリーを離したユリシーズ。ユリシーズに振り回されたローズマリーは、赤い顔のまま肩で息をした。
ユリシーズ「それじゃあ、クッキーは女官長に渡しておいてくれないかな?女官長伝で貰うとするよ。僕は執務に戻るから」
ローズマリー「分かったわ」
あっさりと告げたユリシーズは、忙しい執務の間を縫ってきたのだろう。ひらひらと手を振って帰っていくのを見送った頃に、ちょうどクッキーが焼きあがった。
いい匂いが辺りに漂う。
ブラッド「中々見た目は綺麗に出来ましたね。少し冷めるまで待ちましょうか」
シンプルなプレーンのバタークッキー。
程よく冷めた所で、ローズマリーはまだ少しだけ熱を持つクッキーをはむっと口に入れた。バターの良い香りと砂糖の甘さが口に広がる。
ローズマリー「お……美味しいわ!!カリスタも食べてみて!」
カリスタ「んんっ?!ローズマリー様すごいです!びっくりするくらい美味しいです!」
自分で作ったという達成感と、大好物という事もあり、いつも以上にそのバタークッキーは大層美味しく感じられた。カリスタにも褒められて、口元が自然と緩んでしまう。
ブラッド「ん。美味しく出来ていますね。ローズマリー様、中々お上手ですよ」
ローズマリー「ありがとう……!ブラッドのお陰よ!」
ブラッド「いえいえ。私なんて説明していただけですし……。ユリシーズ殿下へはどのクッキーを差し上げるおつもりですか?」
ブラッドの問いにローズマリーは焼きあがったバタークッキーを順に眺めていく。少々時間を要しながらカリスタと選んだのは、焼いたクッキーの中でもとびきり形が良く、綺麗な色をした数枚だった。ブラッドとカリスタがラッピングしてくれる。
ローズマリー「女官長。これをユリシーズ様に持って行ってくれる?」
女官長「かしこまりました」
恭しくクッキーの入った袋を受け取る女官長。
ローズマリーは知らなかった。
このクッキーが後に大惨事を引き起こす事になるなど――。
〇ユリシーズ王太子後宮、ローズマリー私室(夕方)

ローズマリーはつい先程焼きあがったばかりのバタークッキーを摘みながら、紅茶を飲んでいた。形は不格好だったり、少しクッキーの色が濃かったりするが美味しい。そして、カリスタとのんびり今日のお菓子作りについて話していると、部屋の外からバタバタと慌ただしい音が聞こえて首を傾げる。
ローズマリー「何かしら?」
女騎士1「失礼致します。ローズマリー・アスクウィス様。ユリシーズ殿下に毒を盛った容疑で拘束させていただきます」
ローズマリー「え……?!」
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