かぐやは『ガラスの石はゴミなのか』と俺に問うた。
かぐやは『ガラスの石はゴミなのか』と俺に問うた。

 真っ暗な部屋の真ん中で、一つの毛布に包まりながら俺たちは窓の外の海を眺めていた。
 お腹が空いたねとは言えず、ゴミばかりが増える部屋で真ん中で寄り添うしかなかった。
 真っ暗な闇の中、窓の外だけは淡く光っていた。
「ねえ、大きくなったら誰かと結婚するのかな」
「……さあ、どうだろうか」
 君は恋とか恋愛に夢を見るのか。
 そう問いそうになって飲み込んだ。
 俺も君も恋愛に臆病で、本物を見たことがないから荒れる。荒れる荒れる。
 海だけは静かに凪いていたが、俺たちの心は小さくて狭くて、ボールを投げ込んだら壁を弾いて延々と小さな空間の中でボールの痛みが続く。
 恋愛よりも俺は、お腹が空かない家がいい。家族よりもずっと一緒にそばにいたかぐやを見て確信した。
 家族がいても飢えは満たされないのだから、恋愛より家族より、俺はお腹を満たしたい。

 *
 一人暮らしがしたかった。
 父も母も頼れなかったので、一度だけお正月に帰省したことがある母方の祖母を頼った。
 俺が行っても歓迎されていないのは濁った空気から感じられていたが、祖母だけは優しかったから、土下座して頼んだ。
『アパートを借りるのに保証人が必要なんです。お願いします』
 少し足が悪いのか、座布団の上に立ち上がるのに時間かかったが、箪笥から判子をもってきてくれて、くしゃくしゃになった契約書に判子をくれた。
 なので俺は一週間前に大学の近くのアパートに引っ越すことができた。
「梓馬はおばかだねえ。今はアパート借りるとき、保証人になってくれる会社があるんだよ」
「うっそ。なんでお前が知ってるんだ」
 アパートを借りた当日に私物を持ち込んできた幼馴染のかぐやが、部屋を見渡しながら言う。
 誰もが振り返る、艶やかな長い黒髪が笑うたびに飛び跳ねた。
 大きな瞳に桃色の唇、白くて透き通るような肌に小さく華奢で、立っていると人形のように美しい。と、もっぱらの評判の一つ年下のかぐやは、セーラー服のスカートを揺らしながら窓を開けた。
「私も一人暮らしがしたくてずっと調べてたんだもん」
「お前、ほとんど俺の家にいたもんな」
「お隣さんだから当然でしょ」
 頬を膨らませてと不機嫌になった。怒り方も可愛いなとついつい笑ってしまう。
 俺とかぐやは、安くてぼろく、古くて汚い公営住宅のお隣同士だった。
 俺の母親は恋人の家に入り浸り、ほぼ家に帰ってこない。かぐやの父親は、色んな恋人を家に連れて帰るので、かぐやは家に居場所がない。
 俺とかぐやが、俺の家で過ごすようになるのは必然のようなものだった。
「ねえ、梓馬。カーテンの丈が全然あってない。短くて、学校なら校則違反なミニスカートだよ」
 窓につけたカーテンを見て、ケタケタ笑う。
「そんなんだから、私に気づかれちゃうのよ」
「なにが」
「……う、わ、き」
 にやりと笑うと、カーテンにくるくると包まる。ぶちぶちとカーテンレールを外しながら、包まると畳の上に倒れた。ちょうど抹茶色のカーテンだったせいで、青虫のように見える。
「浮気、か」
「浮気浮気。私たち、愛とか恋とかいらないのに。浮気だ。浮気」
 付き合おうと言われたわけでもないし、身体を重ねたことはない。
 ただ、お互い親のだらしない部分を見てきたせいで、軽く恋愛に対して偏見がある。
 いや、軽くじゃない。重度の偏見がある。
 だからどうしても他人を好きに慣れなくて、けれどかぐやのそばは一番しっくりくる。
 このまま恋だの愛だの分からないままなら、いつか一緒になりましょうねと言われ、現在まで分からないままだから、俺もかぐやでいいと思っていたんだ。
「向こうが好意を持ってきたから、俺ももしかしたら好意を持てるかもしれない。そう思って触れることは浮気?」
「そういって何人の女の子を傷つけてきたの。一回しか触れてもらえず離れられた彼女たちが、梓馬のことを最低野郎って騒いでるの気分がいいものじゃないんだから」
 そりゃあ、どうしても心が燃えないんだから仕方ないじゃないか。
 俺の父親は不明らしいが、薄いブラウンの目に男の平均身長より頭一個大きく、筋肉の付き方も違う。父か祖父に外国の血が混ざっているのは一目瞭然で、外見だけは女性を引き寄せやすいようだ。
「お前だって浮気してたじゃん。学校の先生に」
「……あら、かぐや姫の話を知らないの? 一説には月から追放されて地球に落ちてきた理由は、かぐや姫が不貞をしたからってあるのよ」
「……まじかよ。まあどんな男も魅了する絶世の美少女だからなあ。本人がいやでも寄ってくるのかもな」
「……そう。どんなに冷たくしても寄ってくる。どんな無理難題を命令しても、次から次へと湧き上がってくる」
 疲れちゃったとかぐやは笑った。二つ重なった段ボールに座って、青虫のまま窓の外を眺めている。
 一度だけ、一度だけかぐやの言葉を借りると、彼女も浮気をした。
 地味で冴えなくて、顔も成績もパッとしないような、うだつが上がらない若い数学教師だった。かぐやと話す内容も、難問の数式についてとか、数学オリンピックだの暗算の大会だのつまらない話ばかりだった。
 だがかぐやはその地味教師の話を面白そうに聞いていた。
 一生懸命に話す先生の顔が好きだったという。たどたどしく、けれど裏表のない誠実そうな所がきっと惹かれたんだと思う。
 だがその先生が突然、実家の農業を継ぐと北海道に帰ってしまった。するとかぐやは『浮気してごめんね』と再び俺と一緒に居る時間が増えたのだった。
「ねえ、私の洋服を入れる箪笥買って」
「押し入れに入れとけばいいじゃん。俺のモノなんて全然ないし、置くスペースは沢山あるだろ」
「乙女心が分からない奴はトイレの水に流されてしまえ」
 何が不満なのか分からないが、小さな冷蔵庫の前で体育すわりして何度も何度も冷蔵庫を開ける。
 引っ越したばかりだが、もう畳が少しかび臭い。築四十年の鉄筋コンクリート造りの二階建てのボロアパートは、入ってすぐのキッチンと摺りガラスで隔てた六畳の部屋と、湿気でじめじめした押し入れとカタカタと窓の音が鳴るトイレと、小さな風呂。
 これで三万八千円なのだから贅沢は言っていられない。大学とバイトとかぐやとの時間の確保ができるいい値段だ。
「冷凍庫付きの大きな冷蔵庫買ってよ。この冷蔵庫小さすぎるじゃん」
「飲み物しか入れないから仕方ねえじゃん。バイト先で夜ご飯出るし。お前はちゃんと飯食ってる?」
「私もバイト先で賄いを貰ってるけど、でも」
 でも梓馬と一緒にご飯を食べたくなるんだよねと無表情に呟いた。
 黙り込んで外を見る。外に見える海は、何年経っても色も形も変わらない。同じ目線でもないはずなのに、俺たちが見る海はいつも変わらず凪いている。
「なんか、あったの?」
 また親父さんが恋人を変えたのか、バイト先で絡まれたのか、それともまた。
「今度は誰に告白されたの」
「……いじめっこ。小学校の時に、私のことを『その服しか持ってねえのか』っていじめていた酒造のとこのクソガキ」
「同い年にガキってなんだよ。しかもそいつ、まだかぐやのこと好きだったんだ。毎日毎日、自分を見てもらいたくて必死だったよね、彼」
 あんまりにもかぐやを虐めるので、小学校の帰り道、待ち伏せして後ろからランドセルを蹴っ飛ばしたことがある。
 軽くて二、三回転がってから振り向いて俺にびっくりしていたっけ。
『かぐやを虐めるごとに一回蹴らせてよ』
 笑って手を差し出す。起き上がらせるためだったのだが、彼は体を震わせて俺から逃げるように走って消えた。それから虐めはピタッと止まったと言っていたのに。そうか、彼はまだかぐやが好きだったんだ。
「都合がいいのね。いじめられた私は、彼に意地悪を言われるたびに下唇を噛んで耐えてたの。だから、彼を見るたびに下唇から滲む鉄の味を思い出す。大嫌いよ。なのに彼はただからかっていただけって。自分勝手で酷い人」
「好きな子に素直になれない奴だったんだろうな。で、今回はどうしたの?」
「……ふふ。あのね」
 大人びた笑みを浮かべて笑う。綺麗に梳かれた髪を撫でながら、かぐやは笑った。
「燕の子安貝が欲しいって言ってみた。ふふふ、ポカンとしてて面白かったな。冗談と思ってたから本気だよって言ったの」
「意地悪だね」
「子安貝を手に入れようと奮闘した人が最後どうなったか知ってる?って聞いたら知らないって。だからおかしくって。私、それぐらい貴方が嫌いってことなのに。ふふふ、あはは。だめだ。狼狽える彼、面白かったな」
 子安貝を手に入れようと燕の巣に手を入れた中納言は、梯子から落ちて亡くなってしまう。かぐや姫は『可哀そうに』と唯一感情を見せた相手だったとも言っていた。
「給食が私には大事な食事だったのに蜜柑を隠されたり、デザートを隠されたり。遠足でお弁当を持っていけなくて隠れてたら、見つけて笑いものにしてきたり。彼のせいで小学生の時の嫌な思い出がぶわっと思い出しちゃった」
「……傷つけたと知っていたら、告白なんてできなかっただろうね」
 かぐやは強い。感情を殺して微笑んでいることが多かった。無駄な争いに巻き込まれないように一歩下がって生活している。きっと誰とでも話せるが、友達といえる相手はいないはずだ。
「私の三大欲求は、死なない程度の食事、安心して眠れる場所の確保、……安心できる手」
「手?」
「うん。お父さんの手は汚くて、一度も触ったことがない。もっと綺麗な手がいい」
 海を見ていたのに急に振り返ると、俺の手を見る。
「梓馬もお父さんと一緒で、色んな女の子を触ってるのに。なんでだろ。まだ汚いと感じない」
「まだ、か」
「うん。浮気だからかなあ。まだ梓馬も私のそばにいるから。私も梓馬のそばにいるから」
 それだけを言うと黙り込んでしまった。
 かぐやがいう校則違反のミニスカートみたいなカーテンが風に揺れて、長い髪を浚っていく。
 海を見ているのか、いなくなった先生に思いを馳せているのかわからない。
 きっとかぐやは、本気で先生が好きだったのだと思う。
 確かに色んな女性に不誠実な付き合いをしないような人だ。汚くないのだろうな。
「かぐや、海行こう」
 バイトまで二時間ある。本当ならば、俺がバイトに行っている間に、宿題や風呂を済ませてかぐやは眠っている。が、今日は何となく一人にしたくなくて、バイト先まで全力で走ればいいと、彼女のケアを優先した。
 かぐやは男を『汚い』という。確かに人の目を惹く容姿だ。男の子たちは、美しい人の前では馬鹿になる。気の利いた言葉が浮かばなかったり、変に気になっている気持ちに自覚がもてず、意地悪してしまう。
 それに唯一の家族であるはずの父親が、常に隣に女性を侍らせていたのだから、汚いと思うのも仕方ないのかもしれない。
 未だに飲み屋のお姉さんを週に何回かお持ち帰りしているのを俺も目撃するから。
「梓馬、バイトはいいの?」
 手を繋いで、とぼとぼ歩くかぐやを引っ張ってる。俯いていたのにやっとしゃべったと思えば、俺のこと。
「いい。今日は過去を思い出してずっと凹んでるだろ」
 嘘だ。あと二時間のうちにどうにかなればいいな、そうすればバイトへ行けると思っている。バイト代だけで大学に通うのはカツカツだから。
 それでもかぐやを一人で寂しい思いをさせてしまうよりはバイトに遅刻する方がいい。
 俺もかぐやも汚い大人と過ごしてきて、現実を知っているし神がいないのも分かるし、大人でも子どものころから成長してなさそうな奴は沢山転がっている。
 汚い世界で、全てに絶望しないのは目の前に広がる海のおかげだ。
 日が沈みかけた夜を映す海は、オレンジ色に紅茶を溶かしたような深い色になっている。
 エメラルドグリーンなわけでもないが、汚いわけでもない。
 ただ月に二度、第二第四土曜日に清掃が行われている海岸だけは綺麗だ。ゴミが一つも落ちていない。
 押しては返す波が攫っていくのは小さな石ぐらい。缶のゴミさえも転がっているのを見たことがなかった。
「海岸はほんと綺麗なんだよなあ。小さいころ、なんで何も転がっていない海岸をビニール袋持って歩かなきゃいけないんだって思ってた」
「……私は違うよ。こんなきれいな砂浜に宝物が落ちていないかなって探してた」
「宝物って、これ?」
 落ちていたガラスの石を拾う。波に転がされ、丸みを帯びたガラス。シーグラスとも呼ばれているその石は薄い青色や茶色、翠の色が多い。偶に薄いピンク色もあるが、その元のガラスは何だったのか疑問だった。
 拾ったのは水色のガラスの石だったが、かぐやは大事そうに両手の上に乗せた。
 小さな頃から、ゴミだらけの汚い家の中でこの石だけは宝物のように光っていたっけな。
「……なの?」
「ん?」
「この石ってゴミなの?」
 両手の上に乗せた石にポタポタと涙が落ちてシミを作る。小さな肩が震えている。
「私、先生に告白されたの。教師を辞めるから、ここじゃない場所で幸せになろうって。拙い告白の中、そう言ってくれて私、嬉しかった」
 石を握りしめたまま、その場に座り込んだ。同じ目線で考えたかったので、俺も片膝を突いて座り込む。
 覗いていいのか分からず顔は見ない。だがこれは俺がしている浮気じゃない。かぐやは本気であの教師が好きだったのだろう。
「先生にはどんな無理難題を言ったの」
 いつも告白してきた相手に、ありもしない品物や存在しない商品の名前を言ってそれが欲しいと無理難題を言ってきた。まるで竹取のかぐや姫のように、少しでも違ったら冷たくあしらって『約束は約束だよね』と相手の心を踏みにじってきた。
 かぐやの父親が、まるでゲームみたいに相手をとっかえひっかえするのを目の当たりにしてきたせいで、かぐやも告白してきた相手をゲームの攻略相手のように扱う。
 告白してきた先生にも本気なのか試したのだろう。
「先生には、海に落ちているガラスの石が欲しいって言ったの。ピンク色が欲しいって。そうしたら走っていって、何時間も歩き回って海に潜って探してくれた。それで私に一つ、両手に乗せてくれた」
 嗚咽が広がり、小刻みに震え、石に頬擦りすると、声を震わせて絞り出す。
「私が好きですって、これで本気をわかってくれますかって。私……嬉しかった」
 俯き顔を覆い隠す髪を、耳にかける。かぐやは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
 ここまで感情をむき出しにしたかぐやは初めてだった。
「嬉しかったんだよ、梓馬。嬉しくて、本当の愛ってやつに触れた気がしたの。ガラスの石は、私の柔らかくなった心だって思ったの。先生なら私、信じられるって」
「じゃあ、なんでついていかなかったの。北海道に一緒に行けば良かったのに」
 首を大きく振ってかぐやは砂浜の上に石を投げ捨て、爪で砂浜を引っ掻く。
「次の日、海岸のゴミ拾いで先生は石をゴミ袋の中に捨てた」
 柔らかい砂浜は、爪で引っ掻くだけで簡単に傷がつく。何度も何度も引っ掻いても、爪にダメージはないのに、砂浜はめちゃくちゃに壊されていた。
 かぐやの柔らかい心を引っ掻くのは簡単だ。信用できるとむき出しになっていたのだから、簡単だった。
「私が綺麗だから欲しいって言ったのに、先生はゴミ袋に捨てたの」
「学校では教師なんだから仕方なかったんじゃない。生徒の前でガラスの石を喜ぶのもってできないんじゃないか」
「でも梓馬はすぐに宝物って気づいてくれた。探さなくても見つけてくれた。先生とは価値観が違う。生きてきた環境が違う。先生は幸せで満たされた時間だった。石ころなんてゴミにしか見えないぐらい先生は幸せだったの」
 卑屈になるわ。先生と一緒にいても貧しくて苦しくて、可哀そうな自分が見えて惨めになる。声を出し大声でかぐやは泣く。
 初めて自分から人に近づき、触れてみたいと思う相手だったのだろう。
 その相手が自分を好きだと告白してきて、自分のために教師を辞めると言って、自分を幸せにしたいと伝えてきた。
「先生を選ぶ勇気が持てなかった。怖くなった」
 掘って掘って、砂浜に穴ができる。
 優しそうな先生だったな。あの先生も、爪で砂浜を引っ掻いて、爪の間に砂を残したまま引っ越していったに違いない。
 かぐやの爪の中の砂も、俺では取り出してあげることはできなかった。
「梓馬、わからないよ。どうすれば正解だった?」
「……かぐやは宝物を大事に扱ってほしかっただけだ。間違ってもないし正解でもないよ。心の問題だから」
 抱きしめて背中をポンポンすると俺の首に抱き着いてきた。俺は首の力だけで持ち上げ、投げ捨てたガラスの石を拾って、しがみつくかぐやの背中を叩きながら歩く。
「ねえ、ガラスの石って普通の人にはゴミなの?」
 かぐや姫は、ガラスの石はゴミなのかと問うた。
 俺にはゴミじゃなかった。彼女が大切にしているのを知っていたし、綺麗だと思っていたから。
 誰が告白してきても信じられなくて無理難題を言って遠ざけ逃げ、傷つけても構わないと頑なだったかぐや姫は、いざ人を好きになってもその価値観に押しつぶされて幸せを感じられない。
 これは親が悪かったのだろうか。今からかぐやの父親を殴って、かぐやに謝れば傷ついた心は癒されるのか。
 幸せになりたいが、頑なな心は、丸みを帯びていないガラスの破片。
 何度も何度も波に飛び込む勇気がなく、佇む破片。
「私、浮気だった。もう恋だの愛だのいらない。梓馬でいい。梓馬でいいよ」
「俺も浮気沢山しちゃってるじゃん」
「そうだね。梓馬が私みたいに女の子に酷い振り方をしてたら、梓馬を好きになってたのにな」
 今回は大丈夫かな。今度こそ誠実な恋愛ができるかなって手を伸ばしても、しっくりこなくて満たされなくて続かない。
 恋人という相手ができても、夜は家に帰ってちゃんとかぐやが布団で眠っているか気になってしまう。
 本を読んだまま床に転がって眠っていないか、確認したくなる。
 恋人の位置よりも大事で、血を分けた家族よりも大事な家族で、一人にしたら危なっかしい。
 そんな彼女を満たすのは、三大欲求の中の愛情ではないのだろうか。
「梓馬……私、誰かなんていらない。梓馬の大切な人にならないでいい。だから、ここに居させて」
「俺はどこにも行かないし、誰も本気にならないし」
 かぐやを癒してあげられる存在にはなれない。
 俺たちは生まれた瞬間にヒビが入っていた硝子で、転がされ劣悪な環境の中放置され、壊れた。歪に飛び散るガラスの破片が、何故か俺たちの壊れた部分に一致していた。
 はめ込むと、自分の破片じゃないのになぜかぴったりで、壊れてもお互いの破片を貰って補えた。
「大丈夫。俺はかぐやの帰ってくる場所になる」
 静かに波打つ海を離れた。綺麗に掃除された海岸にガラスの石は排除されるべきなのか。
 俺とかぐやが寄り添って朝を待つ間、何百回も見た窓の外の向こう。
 俺たちガラスの破片は、海の波に転がらされ丸みを帯びても、元が破片なのでゴミなのだろうか。
 綺麗だと思って手に取ってくれる人はいないのだろうか。
 酷く胸が締め付けられる夜だった。
バイトは休んで、俺がオムライスを作って、かぐやは泣きながら食べていた。
苦しくて虚しくて、丸まって眠るかぐやを見た。
口づけをしてやれば、いびつな俺たちの関係に名前をつけてあげられる。
眠る瞼を手の甲で撫でて、乱れた髪を耳にかけて見下ろした。
『パパが再婚するかもしれないって言ってた』
 小学生の時、かぐやは目を輝かせていたっけ。
『私にママができるかもしれない』
 父親との二人暮らしでは、部屋は荒れて散らかって、カップラーメンやインスタントラーメンが段ボール箱一杯に買い置きがしてあり、いつも薄暗かった。
 かぐやは母親がいる綺麗な部屋を何度も夢見た。
 何度も何度もかくやは『お前のママになるかもしれないぞ』と恋人を紹介されていくうちに、期待しても無駄だと学習していた。
 家族や親に期待できないとわかると、何も欲しいものが浮かばなくなってくる。欲が言えない子は何が欲しいのか周りも分からない。
キスをしようか。それでこの空虚な気持ちが満たされるなら、彼女の唇に触れるのは簡単だ。触れよう。ただの口と口の接触。粘膜を擦り付けあう行為だ。
頬を撫でて、唇をなぞり唇を押し付けようとした。
「……せ」
「っ」
「せ……ん……い」
 先生。
 一粒流れた涙と共に、かぐやの唇は欲しいものを呟く。
 言えるんだ。我慢しない夢の中では、かぐやは言える。
 散々我儘な要求をしてきた彼女の囁かな願い。
 丸くなったガラスの石を、宝石のように大事にしてほしい。
「……ああ、そうだな。俺じゃ駄目だ」
 壊れた硝子の一部。繋がってる自分の一部。
 俺じゃ駄目だ。
 ゴミのように海の波に漂って、角が取れてなんとか生きてきた俺たちだ。
 他人に綺麗だと言われないと満たされないんだろうね。
 だから俺は告白されたら誰でも体を重ねてしまうが、本気になれない。
 俺はきっと世界中の誰にでも綺麗だと言われたい欲望があって、彼女は綺麗だねって拾って大事にされたいんだ。
 俺たちは体の一部だから満たされない。俺たちが欲しいのは他人からの体温。
 否定されたような、くそみたいな生き方をしてきたからだ。
 眠ってしまったかぐやの携帯を取り出し、不用心にもロックをしていなかったので先生に電話した。連絡先を消さないぐらいには愛情が残っているのが分かったからだ。
 ワンコールで繋がった電話の先で、声が発せられる前に話しておいた。
「先生。かぐやの誕生日は七夕なんです。教養のない親が、七夕ならかぐやって名前だねって安直に決めたんです。よく考えれば七夕は織姫なのに。そんな感じ。俺もかぐやも、親の愛を知らないし、いつも空腹で、酷く嘘つきで、浜辺に落ちているガラスの石みたいなゴミなんですよ」
『梓馬くんか』
「浜辺に落ちているガラスの石は、ゴミですか?」
 かぐやの代わりに問うた。帰る場所が分からず泣いている俺の片割れの代わりに聞いた。
 海の頭上に浮かぶは満月。漆黒の夜を照らすは、かぐやの還りたい場所。
 頭のいい先生だ。俺のその言葉ですぐに察したのか『今から向かいます』と言うと、電話の向こうで大きな音を立てて準備を始める。
 かぐやは眠っているが、きっと朝起きたら、先生が駆け付けてくれるから知るだろう。
 これは不貞ではない。月からの迎え。
 ただ本当のかぐや姫と違うのは、迎えに来てもらっても君は記憶を失わない。
 ゴミだと嘆く君ごと、ちゃんと連れ去ってくれるだろう。
 朝起きたら、一番に君に真実をつげるよ、かぐや。
 浜辺に落ちているガラスの石の答えを。
 
       Fin
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