政略妻は冷徹ドクターの溺愛に囚われる~不協和結婚~
プロローグ〜涙の初夜
那智(なち)は固く目を瞑り、まず視覚を閉ざした。
頭の中で、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番を奏で、外界から入ってくる音も遮断する。
なにかが肌を這う感覚を、『無』にするのは骨が折れる。
しかし、壮大な交響曲の旋律を追って、なんとか紛らわせようとした。
それでも不十分になると、明日、朝からやることの段取りを、一から順に思い巡らせる。


(日曜日だけど、明日からはのんびり朝寝坊もできない。早起きして、二人分の朝ご飯を作って……)


今日の午後、引っ越しをしたばかりだ。
リビングには、彼女の荷物である段ボールが数個、まだ手付かずのまま積んである。
明日の夕方までには、片付けてしまわないと。
月曜になって、一週間が始まったら、そんな時間もなくなる。


(それから、……それから)


明日やることを考え尽くしてしまっても、とにかく、心と身体を、スパッと分断していられれば、意識を集中させるものはなんでもいい。
今、那智は、自分の身体から抜け出すことを、切に願っていた。


すべての五感から意識を背け続けるうちに、今の自分を客観的に捉えることができるようになった。
まるで、幽体離脱したみたいな気分だ。
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