十六夜月と美しい青色

儚いひとりごと-凌駕side

 『ごめん。今まで本当にありがとう、幸せに。さようなら』

 人の行きかう雑踏の中で、足を止めて唯一結花とつながっている、携帯番号へショートメッセージを送った。これも、着拒されていたら彼女の眼に着くことなんてないだろうが。

 トークアプリもブロックされていて、納品先のカフェにはあれから顔を出さなくなってしまった。俺との繋がりを、すべて絶ってしまおうとしているようだった。だから仕事中に偶然再会したこの日の夕刻、従業員の出入り口辺りで2時間くらい、彼女がそこから出てくるのを、肌を刺す冷たい空気にさらされながら待ちぼうけていた。

 会っても言い訳くらいしか話す事なんてないのに、それでもそうするしかないような気がしていた。いくら待っても既読がつかないメッセージを閉じて、諦めてコインパーキングへ車を取りに行こうとしたとき、寒そうにショールを巻いて、白い息を吐きながら走れば手が届くところを彼女が歩いていた。

 「結花…」

 結花は、立ち止まりはしても、振り返ることはなく再び歩き始めた。

 思わず追いかけて、その手を掴んだがそれでも俺を見ようとはしない。話したいと言っても、終わったことだと取り合わなかった。奥さんを大事にしろとまで言われて、結花は何も知らされていないのか…。

 これで最後だと、結花を抱きしめた。壊れ物に触れるかのように優しく…。

 結花はその腕を振り切って、落としたプレゼントを手にすると、頬から大粒の涙を流しながら駅に向かって駆けて行った。

 腕の中に微かに香る残り香が、俺の鼻腔を掠めて消えた。

 追いかける事なんて、今更できるはずもなかった。

 あの事だって、もっと冷静に対処していたら違った結果になったはずだ。

 慰謝料でも何でも支払って、片づけてしまえばよかったのに、子どもができたなんて言葉にどうしてあんなに動揺してしまったのか…。結局、あの女の嘘が明るみに出て終わっただけだ。

 一番大切な結花の心を、この手から失ってしまった。

 あの包装された小さな小箱は、今朝のあの男に渡すのだろう。結花の言う通り、二人で過ごした時間はもう終わったことなんだろう。そう思うと、噛み締めた唇から血の味がしていた。

 コインパーキングへ向かう足取りは重く、明日からの生活に思いを馳せるだけで、あの男が言っていたように失ったものが大きすぎたことに気づく。

 それにアパートの荷物も、昼過ぎには引っ越し業者が京都へ運んでいった。ほとぼりが冷めるまでとは、両親から言い渡されているが、自分がここへ帰ってこなくても店は腕のいいベテランの職人もいるし弟もいる。両親から暗に世間体があるから敷居を跨ぐなと言われたのと同じだ。

 どうして、こうなったかは分からない。あの女の、勝手な妬みのせいですべてが手の内から零れ落ちていった。俺にも隙があったんだろうが、到底許せるはずもなく、だからと言ってあの女を訴えたところで結花は自分のもとに帰っては来ない。

 失ってしまったけれど、君は幸せになって欲しい。

 舞い始めた雪が、アスファルトの上に落ちると一瞬で溶けていった。その儚さが、今の俺を表しているように見えて冷たいものが頬を伝った。



 
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