あなたとはお別れしたはずでした ~なのに、いつの間にか妻と呼ばれています
和花


和花(まどか)ちゃん、来てくれた!」
「ゴメン、大翔(はると)。遅くなりました」

ここは、少女漫画家『三枝(さえぐさ)マリ』の仕事場。高円寺にある中古マンションの一室だ。

「この修羅場に来てくれただけで、感謝だよお~」
「ま、和花さん、ここ座ってください」

連載の締め切りが近いとあって『三枝マリ』こと武中(たけなか)大翔と二人のアシスタントがパソコンとにらめっこしている。
雑多な資料や描きなぐられた下書きなどが散らばる部屋で、これからが追い込みだ。
金曜日の昼過ぎとあって、真夏独特のもわっとする空気が部屋の中に漂っている。
どうやら南向きの部屋では冷房の効果もあまりなさそうで、三人は首にタオルを巻いている。

「ペンもインクも準備オッケーです!」

和花も自分に与えられている机にスタンバイ完了だ。

「はあい、じゃ、何から描けばいいですか?」
「いつも通り、背景をお願いします」


『三枝マリ』のペンネームで漫画を描いている武中大翔は奥村和花(おくむらまどか)の同級生。
ふたりは高校時代に同じデッサンスクールに通っていた。

大翔は高校三年の時に女性名のペンネームで少女漫画家としてデビューを飾った。
二十四歳になった今では紙媒体と電子書籍の両方に連載を抱えて活躍している売れっ子だ。

だが、プロ七年目になるというのに景色や花を描くのが苦手なのだ。
ヒロインを美しく見せるロマンティックな場面だというのに、背景が決まらないとイメージ通りに仕上がらない。

そこで、和花の出番になる。

「和花ちゃん、ここに大きな木が欲しいんだ」

早速、大翔からの注文だ。

「漠然としてるね」
「恋人同士がこの木の下で出会うんだ。ふたりの思い出の場所にしたいんだよ」

「ふうん……」

和花の気のない返事に、大翔はハッと息を呑んだ。

「あ、ゴメン! 悪気はなかったんだ!」
「別に、いいけど。昔のことだし」




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