スパダリ外交官からの攫われ婚


 春が来たとはいえ、夜遅い時間はまだまだ冷える。まだ仕事着のままだった(こと)はふらりと旅館内にある庭の池の前に来ていた。
 旅館の灯りのおかげで、夜遅くでもここは真っ暗にはならない。琴はその場にしゃがみこんで池の中で泳ぐ鯉を見つめている。

 この庭は琴と実の母がたくさんの時間を過ごした場所だった。その頃は父もちゃんと琴の事を見てくれていて……
 だが母が亡くなると同時に、父はこの場所には寄り付かなくなった。優しかった母との思い出が辛かったのかもしれない。

「ずっとこのままなのかしら、私……」

 義母や姉に良いように使われ、八つ当たりされる毎日。真面目で大人しい琴もそろそろ限界を感じていた。
 父のため歩み寄ろうとした努力も、すべて無駄になっていく。そんな毎日では……

「どこかに逃げれたらいいのに。誰か私を攫って行ってくれないかしら……」

 馬鹿な事を言っている自覚はあった。それでも琴に自分で逃げる勇気がない以上、そんなことを望んでしまうのも仕方ない事で。
 夢みたいな話が叶うわけがないと、項垂れていると……

「どこかに攫って欲しいのか、あんたは?」

「……え?」


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