「そうくると思いましたよ」賢明の魔術師は、秀麗な騎士をはなしません。⇔蓮雨ライカ

「おちちゃいますよ」






現在ローレルが住んでいるテイリーンは、大きく三国と接している。

北側には生国のハーティエ、境界線が長く、国境付近は森林地帯が広がっている。西側がプロヴァル。

もうひとつは東側のイーリィズ。海に面し、大きな港を抱える国。こちらは大きな山が国境の役目をしていた。



「……いい馬だな」
「ええ。 今回は大きな街道を走るので、単騎の方が都合が良いと思いまして」

リンフォードが意気揚々と連れてきたのは、足腰がしっかりとした様子の二頭の栗毛の馬だった。

毛はつやつやで、その下の筋肉は早く駆けたいと盛り上がってぶるぶる震えている。佇まいも落ち着いた雰囲気で、この馬たちが大事に扱われているのが一目で分かる。

「どこから手に入れた」
「詳しい人がいるのでお借りしてきました。山道にも強いらしいですよ。こっちの靴下を履いている方をローレルさんに」

女性が好きらしいです、と手綱を渡された馬は、四本の足に白い靴下を履いたような模様がある。
ローレルが首元を撫でようと手を出すと、機嫌良さそうにぐいぐいと身体を寄せてきた。

「乗れるのか?」
「はい? 私ですか? 速足なら付いていけます。それ以上は馬よりも私の方が長持ちしないと思って下さい」
「心得た」

元々は乗り合いの馬車で移動するように行程を組んでいたので、ずいぶんと時間に余裕ができそうだとローレルは小さく息を吐く。



今回の依頼は前とは違い、イーリィズに近い山間(やまあい)の地域を目指す。
平地ではない、山の中での探索だ。
大きな街道が通っているので、それに沿って移動することになる。
全行程で六日ほど、野営はしないとリンフォードから約束を取り付け、ローレルは渋々とその拘束期間を了承した。

初日は早朝から、その日の予定通りの町まで駆けた。

時折馬のために休息を取ったが、草原や川辺、その先々でリンフォードはあちこちを歩き回っている。
どんな場所だろうと探索好きは変わりませんねと朗らかに笑う。

街道沿いの安くもなく高くもない宿を取って、その日は早めに休むことになった。




「思ったよりも早く進めそうだから、予定を繰り上げよう」
「いいんですか? 探索の日程が長くなりますよ」

山中にいる時間が伸びていいのかとリンフォードは念を押す。
今回は山間の小さな村に滞在する予定なので、野営ではないが、山は山だ。

「貴方はその方が良いんだろう」
「もちろんそうですけど」
「目的のものが見つかれば、探索は終わりだからな」
「私の目的がひとつやふたつだと思わないで下さいよ?」
「……じゃあ予定通りに」
「いやいや、さっさと行きましょう! ね?!」

草の上に座って簡単な朝食を取りながら、向かい合ったふたりの真ん中には地図が広げられ、この後の予定を練り直す。

休息を減らし、道も少し変更して、直接その山間の村に向かった。

日は暮れてしまったが、峠を越えることができた。
このまま山道を下れば村に辿り着く、その辺りに差し掛かる。

先を走っていたローレルが手綱を引いて馬の足を緩める。

「どうしました?」
「明かりが」
「ほんとだ……何かあったんでしょうか」

木々の間から眼下に見える場所は、いくつも篝火が焚かれ、小さな橙の灯りがちらちらとしている。

山を下り、村に近付くほど灯りの数は増えて見えた。

村の入り口より手前で馬を降りたふたりは、丸太を組み上げただけの簡素な入り口へ向かう。
門扉は無いが両脇に篝火が焚かれ、こちらに気が付いた門番がゆっくりと立ち上がる。

「あんたら、こんな時間に何の用だ」
「こちらでお世話になる予定のリンフォードと申します。村長さんに話していただければ分かるかと」
「ああ、ここで少し待ってくれ。誰か」

門の内側で待機していた若い男性を呼びつけて、長の元まで使いを出した。
門番はリンフォードとローレルを順番に、頭から足先までを注意深く見ている。

「何かあったんですか?」
「賊が出たらしい……行商に出た一家の娘だけが傷だらけで逃げ帰ってきた」
「そんなことが……今日のことですか?」
「いや……昨日だ」
「そうなんですね。そのご一家は見つかったんですか?」
「襲われたって場所に行ってみたが、すでに荷車も何も無かった」
「それは心配ですね……私たちが来た方面は何もありませんでしたが」
「あんたらは?」
「街道を西から来ました」
「そうか。ならそうだろうな。襲われたのは北に向かう街道だ」
「というと、ハーティエ方面ですか」
「ああ、そうだ」

しばらく話をしていると、さっき使いに走った男性が戻ってくる。
案内するとリンフォードとローレルに手を振った。

馬を引いたまま、村の中を歩く。
家の多い辺り、大きめの道が通っている場所には篝火があり、その下や、家の前にはその主人らしき人物が厳しい顔つきで佇んでいる。

ちくちく刺さるような視線を受けながら、奥まった場所にある村長の家に歩を進めた。

立派な屋敷というよりは、周りの家よりやや大きめ、といった具合の建物だった。
比較的裕福なのか、石組の土台の上、他の家より高い位置に、白壁の家が建っている。

玄関先にいる壮年の男性が、リンフォードの姿を見て、頷くように頭を下げた。

「よくいらっしゃった」
「なんだか大変な時に来てしまったようですね」
「いつもは静かな場所なんだが」
「私たちは邪魔にならないように、なるべく静かにしますね」
「こちらも大した歓迎ができなくて済まない」
「いえいえ、お気遣いは無用ですよ」

案内しますと現れたのは、その家の長男だった。歳の頃は十代の半ば、まだ“少年”の名残がある顔つきだ。

厩舎に馬を連れて行き、ひと通り世話を終えると、今度は少し歩いた場所にある小さな一軒家に案内された。

「わあ。こんな良いところに泊まらせてもらえるんですか?」
「この中は自由に使って下さい……水はこの家の左手に井戸があります。食料が必要ならなにか用意します」
「ありがたいです。適当に見繕ってもらって構いませんか?」
「はい。……で、早速なんですが」
「はいはい、構いませんよ」
「良かった……その、ケガを負った子がいて」
「襲われたっていう娘さんですね。伺いましょう……荷物を置いてくるので、待っていてください」

家の中に入ると、リンフォードは指をぱちりと鳴らす。

ランプに灯りが入って、部屋に満ちていた影が途端に小さく濃くなった。

「私は出かけてきますけど、ローレルさんはここで休んでてください」
「どういうことだ?」
「何でしょう?」
「何しに出かけるんだ?」
「ここの村に置いてもらう条件ですよ」
「条件?」
「医師はかなり離れた町にしかいないんです。なので、ここに私がいる間だけ、けが人や病人を診てあげますっていう」
「なるほど」
「ではちょっと行ってきますね」
「護衛は?」
「村の中では結構ですよ、休んでください」
「わかった」

荷の中をごそごそとして、必要なものを揃えると、リンフォードはそれを抱えて家を出て行った。

それを見送ってからローレルは家の中を見てまわる。

小さな家なので、二、三扉を開けただけで、すぐに元の場所に戻った。

狭いながらも、台所と浴室がある。
寝室には小さな寝台がひとつだった。

誰がどこで眠るのかはリンフォードが戻ってから決めることにして、ローレルはとりあえず湯を作ろうと、石窯に火をつけて、鍋を持って表に水を汲みに行く。

家具や食器なども、最低限のものは揃っているようだ。

生活感は無いが、しばらくは暮らせるように整えられた場所。

リンフォードのように、遠方から医師に来てもらう為の家なのだろうとローレルは推測する。



湯を沸かしている間に、埃っぽいのが気になって軽く掃除を初めてしまう。
そうしているうちに浴槽いっぱいに水を運ぶ気力も無くなって、井戸と浴槽を数回往復したところで諦めた。
腹までが浸かれば上々だと簡単に風呂を済ませる。

いくつか持っていた果物と干し肉をかじって、なんとか空腹をごまかして待つが、リンフォードは帰ってこない。

食事はこれで構わないが、眠気を我慢するのはやめた。

窓から外をのぞいても、篝火は遠くの方、人影も見えないし気配も無い。

律儀に起きて帰りを待つ必要があるかと考え、みっつ数える間も無いうちに結論を出して、遠慮なく寝台を使うことにした。



気持ち良く寝入った頃に、物音でローレルは意識を取り戻す。
枕元に立て掛けていた剣の柄を手探りで掴んで、近寄ってくる気配と音に注意を向ける。

足音を忍ばせているようだが木床が軋んで、それなりに音が立つ。聞き慣れた間隔の足音、重心の移動の仕方。

リンフォードかと体に入っていた力を抜いた。
半分開いていた目も閉じて、また眠りの世界に戻ろうとする。


扉が開かれると、小さく抑えた声が聞こえる。

「帰りましたよ、ローレルさん……起こしましたよね、知ってます。というか、毎度どきどきするので、(そこ)から手を離してもらえませんかね」
「…………まよなか」
「真夜中ですねぇ」
「…………しょくじ」
「済ませましたよ。ローレルさんは?」
「うん……」
「私もここで寝て良いですか?」
「なにも……」
「しませんよ、ご心配なく。今までもそうだったでしょう?」
「んー…………」

ごそごそと衣擦れの音がして、失礼しますと横向きに寝た背中側の掛け布が持ち上がる。

端の方に、落ちる手前まで横に避けた。

背中合わせになる感触、自分以外の温もりに、ローレルはゆっくりと意識を手放していった。

眠気に負けて、大して考えなかった自分はなんて馬鹿だったのかと、翌朝になって後悔することになる。




腰に乗っている重み、背中の上を滑る、肌と肌が触れ合う感触に、徐々に意識が浮上する。

共寝していたのを、その相手がリンフォードだったことを思い出す。
その場を離れようと身体を引いた。
途端に逆にぐいと寄せられる。

「そんなに端にいったら落ちちゃいますよ」

ローレルが動かないと見るや、リンフォードは腕から力を抜いて、そのまま背中をとんとんと叩いている。
子どもを寝かしつける優しい手つき。

ローレルはゆるりと目を開く。
瞬くごとに、リンフォードのくつろげている襟元がはっきりと見えてきた。

背中から腰の辺りを撫でられる感触に、内臓からぞわりと震えが伝わる。

「…………ローレルさんの背中は皮下脂肪が薄くて、筋肉の付き方がわかりやすい」

惚けるような声を近くで聞いて、今度は体の表面がぞわりと粟立つ。
腰を引いて膝を体に引き寄せて折りたたみ、足の裏をリンフォードの腹に当てて、思い切り押した。

そのままごろりと転がって、リンフォードと、巻き込まれた上掛けが寝台から落ちていく。

床からおはようございますと情けない声が弱々しく聞こえてきた。

「やっと寝顔が見られました」
「……黙れ」
「あどけなくてかわいかったなぁ」
「両目を抉り出させろ」
「それは困るのでやめてください」

うふふと楽しそうに笑っている、床に落ちた掛け布の塊を見下ろす。身体を起こし、その真ん中辺りを踏みつけてローレルは寝台を降りた。
朝の支度をしようと、ズボンと長靴を掴んで部屋を出る。

後には中味が半分に折れ曲がって、もごもごと蠢く芋虫のようなものが残されていた。



無言でぐねぐねと悶えて、踏みつけられた腹の痛みが和らぐのを待つ間。

リンフォードは自分が何をしでかしたのかを考えていた。

「…………反対向き(おなかの方)じゃなくて良かった」

寝ぼけて、腕の中にあるものが何なのか、撫でて確かめようとした。
服の中に手が入っていたのは、本当に本当に無意識だった。

だったのだが、それをそのままローレルに伝えるのもどうかと思う。
おかしなことになって、今後に差し支えるのだけは避けたい。

余裕があったように見えただろうか。
何でもないことのように思っただろうか。
できれば何でも無かったことにしたい。

目を開くとすぐ側にあったローレルの寝顔。撫でているのがローレルの背中だと分かった瞬間の驚きたるや。慌てて寝台から落ちなくて良かったと、リンフォードは長く長く息を吐き出した。

「ローレルさんがローレルさんでありますように」

もそもそと上掛けから這い出して、寝床を整えると、リンフォードは寝室をゆっくりと出て行く。

井戸まで顔を洗いに出ると、ローレルも井戸の側に立ち、村の景色を眺めていた。



周囲を山に囲まれた景色。
まだ影のように黒っぽい緑の山々と、下に横たわる朝靄が流れている。



「おはようございます」
「おはようございます」
「あ……の……ローレルさん?」
「食事を取ったら探索か?」
「あーはい、そうですね」
「医者をしなくてもいいのか」
「それは日暮れ以降という約束なので」
「そうか」

何事もなかったように打ち合わせをしながら食事を取り、山に入る準備をして、何事もなかったように出かけた。



村の入り口に差し掛かる辺りで、人集りを見たローレルは歩みを止める。

「なんでしょうかね」

何かを見つけたように、ローレルは一点に集中していた。

「ローレルさん?」

どうかしたのか、リンフォードが声をかけようとしたその時に、人集りの中から大きな声がこちらに向かって飛んでくる。

「連隊長!」

ローレルは固く目を閉じて、静かに息を吐き出した。







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