逆プロポーズした恋の顛末


「こ、幸生! アリさんは『ant』だよ! さ、急がないと保育園に遅刻しちゃうから!」


無理やり幸生を背後から抱き上げて、強引に歩き出す。

幸生は、それでもなお質問するのをやめない。

最初は「おうちってなんて言うの?」程度だったのが、「やねは?」「まどは?」などと、どんどん詳細になっていく。
いまのところ、どうにか答えられているが、内心冷や汗ものだ。


(幸生よりも、わたしがまず英語を勉強しないといけないわ。尽だったら、きっと所長のようにさらりと答えてしまうんだろうけど……)


英語で書かれた海外の論文も読むのだから、三歳児の質問に英語で答えるなんて朝飯前だろう。
幸生がこんなに好奇心旺盛で、知識欲に満ちているのは、父親の血を引いているからとしか思えない。


(やっぱり会わせるべき、よね……)


尽は幸生にとって血を分けた父親というだけでなく、尊敬し、その背中を追いかけるひとになる可能性もあるのだから。

そう頭では理解しているものの、どうしても尻込みしてしまう。

携帯電話やSNSのアカウントを変更し、尽から連絡する術は絶ったものの、わたしから連絡を取ろうと思えば伝手がないわけではない。
彼の勤め先の病院に問い合わせるという最終手段もある。

しかし、彼がもし結婚していたら、それこそ迷惑以外の何物でもない。

一方的に別れを告げ、勝手に子どもを産んで、四年も経ってから知らせるなんて、あまりにも身勝手すぎる。

そんなことを考えて、何一つ行動に移せないまま、幸生を公園に連れて行ったり、平日には手の回らない家事をこなしたりと、いつもと変わらない週末を過ごして月曜日の朝を迎えてしまった。


(所長も、いますぐ答えを出せとはいわなかったし。今日から「独身でイケメン」の医師が来るし。まずは、仕事に集中しないと……)


そう考えて、気持ちを切り替えようとした矢先、大きな声で呼ばれた。


「おーい、りっちゃん! 幸生くん!」

「あ。おじいちゃん先生だ!」


幸生を抱いたまま振り返れば、ニコニコ笑って手を振る所長が向こうからやって来るのが見えた。

その隣には、背の高い男性が一人。
所長の代理を務める医師だろうと見当はついたが、近づいてくるその人の顔を見て、思わず抱いていた幸生を落としそうになった。


< 59 / 275 >

この作品をシェア

pagetop