薄幸ノ人妻ハ妖シキ鬼ノ愛ヲ知ル
 年が明けてから少したって、鬼頭様が話していたように戦争が始まった。旦那様の工場は戦争の需要で儲けが出ているらしく、このところ羽振りがとてもいい。ウメさんは旦那様に新しい着物をねだっている声が毎日のように聞こえてきた。調子のいい二人とは違い、私はしばらく体調が思わしくない日が続いていた。食欲もなく、何だかめまいもする。女中が心配してあれこれと体にいいものを持ってきてくれるけれど、どれも食べようと思えなかった。

 体調不良の原因。私には覚えがあった。しかしこれが他の人にバレてしまったら……そう思うと、体がぞっとするほど冷たくなっていく。しかし、それは時間の問題。お腹に手を当てると、少しずつ、けれど着実に大きくなってきているような気がしていた。どうか一秒でも長く、誰にもバレませんように。一秒でも早く戦争が終わって、バレる前に鬼頭様が戻ってくれますように。そう願っていたけれど……それは虚しく散っていった。

「奥様、お医者様をお呼びしました」
「……お医者様?」
「奥様のお体に何かあったかと思うと、心配で夜も眠れません」

 とても心配してくれる女中が呼んでくれたお医者様が、全てを暴いてしまった。女中は驚き、隠していた私の事を少し叱ってから、屋敷中に広めていった。お医者様は「食べられるものがあれば食べるように、お腹の子のためにも」と言って去って行く。秘密を隠し通せなかった私は呆然と天井を見つめていた。

 どうしよう。そんな不安に駆られていると、襖がサッと開いた。私がそちらを向くと、まるで【鬼のような形相】で私を見つめる旦那様の姿があった。私の顔がどんどん青ざめていく。私たちに、夫婦と呼べるような関係はない。それは旦那様もよく分かっていることだった。それなのに、私は今、子を宿している。

「それが人の子どもならこの屋敷においてやろう。しかし、鬼の子だった場合……わかっているだろうな?」

 ぞっとするような冷たい声。私は頷くことも出来ず、固まってしまっていた。旦那様には、私がどこで何をしていたのか、全てわかっている様子だった。旦那様が去って行くと、今度はウメさんが顔をのぞかせる。

「あら、おめでとうございますでいいのかしら?」

 口元を隠しているけれど、ニヤニヤと笑っているのが分かった。私がとっさに顔を背けると、ウメさんは「そんな釣れない態度はよして頂戴」と笑いながら言った。

「年の暮れだったかしら? あなたがあの鬼の軍人さんと一緒に帰ってきたのは」
「……見ていたのですか?」
「たまたま目が冷めちゃってね。びっくりしたわ、あの人とそんな関係になっていたなんて……私が旦那様を独り占めしている腹いせ? でもだめじゃない、越えちゃいけない一線ってあるでしょう?」
「もしかして、ウメさんが旦那様に?」

 告げ口をしたのか、そっと問うとウメさんは不快そうに眉をひそめた。

「だって、旦那様を裏切っている奥様の事が許せなくって、ねぇ?」

 どの口でそんな事を言うのだろう? 私の表情に怒りが混じると、彼女も分が悪いのかそのまま席を立った。私は再び、部屋に一人残される。お腹に手を当てると、以前とは違うぬくもりがそこにはあった。

 女中は実家にも連絡したらしく、すぐに私宛の手紙が届いた。内容は後継ぎとなる男を産めというもので、私の体調を心配するものではない。私は実家の期待に沿えないことが分かっているので、その手紙をくしゃくしゃに丸めて、屑籠に放った。手紙の事を思い出すたびに、気持ちがどんよりと悪くなっていった。つわりはしばらく経てば終わると聞いていたのに、私の場合は産み月までそれが続いていた。食事が上手くとれず、伏せっているばかりの日々。無事に生まれるのかどうか、生まれたら私たちは一体どうなってしまうのか……そんな不安がよぎる毎日。けれど、お腹の子が動くたびに、鬼頭様から頂いたツノを握りしめるたびに、それが和らいでいくような気がした。私は今、一人じゃない。彼の子どもと一緒にいる。そう思うだけで、不安を上回る幸せがやって来た。

***

「ほら! 髪の毛が見えてるよ、もうすぐだ、しっかりしなさい!」

 夏が終わり、秋がやってきた頃、戦争は終わらず、私は出産を迎えていた。産婆さんに檄を飛ばされ、女中はハラハラと見つめている。私が汗だくになりながら、何度も懸命にお腹に力を入れる。手には、あの時頂いた彼のツノがある。大丈夫、大丈夫と彼がすぐ近くで励ましてくれているような気がした。
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