それは手から始まる恋でした
その手に触れたい
「あの、そろそろ手を離していただけないでしょうか?」

 酔っ払いに手を差し伸べるなんて私らしくなかった。次の派遣先が決まらず、彼と自分を重ね合わせてしまったのかもしれない。誰からも気にも留められず、でも誰かの助けを欲しているような綺麗な目。彼と目が合った私は買ったばかりの温かいお茶を彼に差し出していた。

 けれど彼が手にしたのはお茶ではなく私の手だった。私は手を重ねられたことに驚きペットボトルを落としてしまったが、彼は気にせずそのまま私の手を握った。心臓は破裂しそうなほど激しく動いている。
 すぐに離してもらおうとしたが体操座りをしていた彼は私の手を握ったのと同時に顔を伏せた。手を離してもらえず10分ほど過ぎた頃に私は勇気を出して声をかけたのだった。

「いやだ」

 そう言って彼は顔を上げた。端正な顔立ちの彼は目が真っ赤でまるで小動物のように可愛らしかった。それにしてもこの顔どこかで見たような……芸能人だろうか。でももっと身近な人のような気がする。誰に似ているのだろうか。

 私が考えていると彼は内ポケットから眼鏡を取り出し細めの銀縁眼鏡をかけた。その姿は紛れもなく私があと1週間で去るあの会社で有名なドS御曹司、高良(こうら)(じん)

 彼は25歳という若さでいくつもの大きな商談をまとめ上げ会社に貢献している誰もが認める次期社長。だがその反面できない人には容赦がないという。噂によれば彼のせいで会社を去った人は両手に収まりきらないのだとか。
 ドS御曹司と呼ばれているその彼は端正なルックスから女子には人気で遊び人としても有名だ。できれば関わりたくはない。罵倒されるのも遊び人に弄ばれるのも御免だ。

「あの、すみません。失礼します」

 私は彼の手を強引に振りほどき、駅へと向かった。部署が違うので私のことなんて知らないだろう。それに彼は酔っぱらいだ。私のことなんて覚えてはいないだろう。
< 2 / 118 >

この作品をシェア

pagetop