楽園 ~きみのいる場所~
9.幸せにしたい、幸せになりたい



 帰って来た楽の様子がおかしいことは、すぐに分かった。

 美容室に行くと言っていたのに行っていないようだったし、あからさまな作り笑顔。

 弁護士が来るからと追い出したことで、悩ませているのだろうか。

「美容室、行かなかったの?」

「うん。予約の時間、間違えちゃって」と言って、楽はケーキの箱を持ち上げた。

「テレビで美味しいって言ってたから、買って来たの。一緒に食べよう?」

 胸騒ぎがする。

 昨日の、別れた旦那からの電話といい、今日の浮かない表情といい。



 もしかして、別れた旦那と会って来た……?

 チーズケーキを買ったホテルで?



 そんな疑いが頭に浮かんだ。



 いや、もしそうだとしても、俺には問い詰める資格も、責める権利もない。



 俺はふうっと小さく深呼吸をして、コーヒーを淹れる彼女を呼んだ。

「楽」

「はい?」

「来週、弁護士に離婚調停申立ての手続きをしてもらう。早ければ一か月後に初回の調停があるらしい」

「そう……ですか」

「うん。萌花が調停に応じなかったり、話し合っても埒が明かないようなら、裁判になる」

「……」

 俺と弁護士は、萌花が調停に応じないと踏んでいる。

 そもそも、自分に離婚原因があるとは思っていないだろうから、裁判所からの呼出し状を読まずに破る可能性もあるだろう。

 そうなったら、裁判だ。時間はかかるが、確実に離婚できる。

「あの……」

「ん?」

「申立ての理由……は?」

「妻の不貞行為と、夫婦生活を継続するために必要な協力と扶助を怠ったこと」

 俺は、弁護士に言われた通りを口にした。

 小難しく言ったが、要するに、萌花の浮気と、体の不自由な俺を放置し、世話をしなかったこと。

 他にも色々挙げられるが、重大な理由はその二点。

「うわ……き?」

「うん。事故の前から萌花が浮気してることは知ってたんだ」

「相手は知ってるの?」

「ああ……、うん。なんとなく」

 結婚前から萌花と関係があった男の目星はついている。裁判の為の証拠集めは、調査会社に依頼済みだ。

「そう……なんだ……」

 楽は目を伏せ、唇を噛んだ。

「楽……?」



 どうしてそんなにツラそうなんだ……?



 手放しで喜ばれるとは思っていなかったが、こんなに苦しそうなのは予想外だ。



 血の繋がりが半分とはいえ、妹だから心苦しいのか……?



「私は……。私に出来ること、何かある?」

 俺は、楽のすぐそばまで近づき、彼女の頬に触れた。

「そばにいてくれたら、いい」

「悠久くん……」

 楽が、目を細め、俺の手に顔を預けるように首を傾げた。

「けど、もしかしたら、このまま一緒に居られないかもしれない」

「え……?」

「裁判になったら、俺ときみの関係を探られるかもしれない。そうなったら、裁判が終わるまで離れた方がいいって言われた」

 楽の頬に触れた手に、彼女の手が重なる。

 冷たい。

 緊張しているのだろうか。
< 70 / 167 >

この作品をシェア

pagetop