桜ものがたり
 手紙からは、仄かに祐里の香りが立ち、気分が和らいだ。

 手紙に同封された茜色の落ち葉は、祐里の笑顔を写して心を温かくした。

 
 光祐さまは、くるくると落ち葉を指で回してから、部屋の窓辺の目に

付く所に飾った。

 不思議なことに茜色の落ち葉を見ていると、お屋敷の自室のバルコニーで

祐里と一緒に居る気分になれるのだった。

 茜色の落ち葉は、秋の陽射しを受けて祐里が微笑んでいるかのように

感じられた。

「祐里、もうすぐ帰るよ」

 光祐さまは、声に出して落ち葉に話しかけた。

「光祐さま、楽しみにお待ち申し上げます」

 すると祐里の声が返ってきたように感じられた。

 祐里は、御婆さまの仏壇にも桜の落ち葉を供えた。

「おばあさま、落ち葉の季節になりました。

 錦のように綺麗でございますのでお供えいたします。

 ご覧になられてくださいませ」

 祐里は、御婆さまの遺影に話しかけて手を合わせた。

 閉じた瞳の中で御婆さまの優しい笑顔が蘇っていた。

 祐里は、柾彦や女学校の同級生にも栞として桜の落ち葉を贈った。

 一片(ひとひら)の落ち葉は、贈られた人々を不思議としあわせな気分に

させていた。

 柾彦は、お気に入りの本に落ち葉を挟み、常時手元に置いて大切にした。


 光祐さまは、旦那さまのお供で度々晩餐会に参会し、また大学の友人達の

邸宅に招かれて、数々の良家の令嬢とまみえて人気を博していたにもかかわらず、

祐里以外の女性にこころを動かされる事はなかった。

その後、旦那さまのもとには、数々の良家より祐里の見合い話が届けられたが、

祐里の結婚は自由にさせる考えで断っていた。

 そして、今では祐里を我が娘のように思い

(どれほどの良家であろうと簡単に嫁に出すものか)と考えていた。

 榛文彌は、転属先で酒宴の帰りに冬枯れの山で遭難し、人にも語れないほどの

恐ろしい体験をして、桜林で倒れているところを捜索隊に発見されたらしい

と巷に風の便りが流れた。

 その後、長い年月、文彌の消息を耳にすることはなかった。
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