愛を教えて

(3)求婚

そこはサロンと呼ばれる個室だった。
窓からは迎賓館や明治神宮などが見渡せ、眺望は素晴らしいものだ。親しい人と、ゆったりとした食事の時間を楽しむなら、最高の場所といえる。

テーブルを挟んだ向かい側に、弁護士を名乗る不遜な態度の男性がいなければ。

そして、目の前に置かれた書類が、千早物産の窮状を告げるものでさえなければ……。


万里子は並べられた書類に戸惑いを隠せずにいた。

千早物産のここ数年の売上高や純資産のグラフ、貸借対照表や損益計算書など。とりわけ、本年度のものが誰でも簡単に手に入るとは思えない。


ただ、その中のいくつかの数字が実際のものとは違っていたのだが……。
経理に関して素人の万里子に気づくはずがない。


「あの……これは」

「これは渋江頭取から預かったものです。あなたにはご理解いただけないかもしれませんが。正直に申し上げて、お父上の会社は倒産の危機にあるということです」


メインバンクである東西銀行に資金繰りを頼んでも不自然ではない。
だが、万里子の父は簡単に経営拡張や新規投資の計画を立てる人間ではなかったはずだ。
第一、いくら弁護士とはいえ、渋江が赤の他人にこういった重要書類を見せたりしないだろう。

万里子の中で、卓巳に対する疑問が膨らんだ。


「お言葉ですが、私は父からそんな話は聞いておりません」

「お嬢さんには話し難かったのでしょう」

「いいえ! 父は社員のためや、会社の安定を第一に考える人です。人材や設備に投資しても、目先の利益のために、ハイリスクな新規事業に投資したりはしません」


万里子は事業計画書にざっと目を通すと、それを卓巳のほうに押しやった。


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