高天原異聞 ~女神の言伝~

8 神代の夢


 豊葦原の中つ国に二柱の神が天降り、その末である国津神はとても喜んだ。
 美しい世界の創り手で在られる男神と女神を、彼らはこの国と同じくらい愛していたから。
 晴れ渡る空の青はどこまでも続き、くっきりとした白雲が形を変えながら流れていく。
 豊かな葦が風に靡き、山々や木々と爽やかに謳う。
 負けじと海が、川が、応える。
 そこに降り立った二柱の神は、互いに寄り添い、自分達の創りだした世界を言祝いでいる。
 そんな二柱の神を地上で迎えられるその幸福感に、国津神は酔った。
 どんな言霊でも言い表せぬほどの幸わいであった。
 ずっと傍にいたい。
 その神気を、神威を、いつまでも感じていたい。
 このまま時が止まればよいと、どの国津神も思っていた。

「父上様、母上様、御機嫌よう」

 飄々とした言霊とともに、するりと風の神が姿を現した。
 男神と女神は驚いたが、すぐに風の神が姿を見せたことを喜んだ。

「志那都《しなつ》、お前はいつも忙しない。一所に落ち着いていられないの?」

 女神のその言霊に、風の神は笑った。

「私はこの豊葦原を巡る風ですよ。留まっていられるはずもない」

 交合いから産まれた神々のほとんどは、豊葦原の中つ国に降り、留まり、国津神となったが、この神だけは地上に留まることなく、絶えず世界を巡っている。
 雲を動かし、海を動かし、木々を動かし、草を動かす。
 この大地さえ動かす風の神は、決して何にも縛られない。

「母上様。私達を産み出してくださってありがとうございます。母上と父上の創られたこの世界は、本当に美しく、愛おしい――」

「愛しいと思うなら、留まって愛でるがいい」

 山の神が、妻である野の神を抱き寄せて言う。
 妻を迎え、子を産み育てることで、豊葦原には様々な神が産まれていく。
 そのように生きろと、言うのだ。
 だが、風の神は肩をすくめ、受け流す。
 他の神達は、それでいいのだろう。
 留まり、産み出し、命を繋いでいく。
 そうであるように定められている。
 しかし、彼は違う。

「私は留まらない――留まれない。全てを動かす、風なのだから」

 すでに身体は透けて、風となる。
 後には、言霊のみが残される。

 巡る風は、決して留まらない。

 それが、定められた神威だった。




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