愛を待つ桜
2階建てのコーポの1階に夏海の部屋はあった。

小さな玄関には作りつけの下駄箱があり、その上に一輪の赤いカーネーションが細身の花瓶に差してあった。

3年前の春、わずかひと月通った夏海のコーポにも、いつも同じように玄関に花があった。

そのせいか判らないが、入った瞬間、懐かしく甘い香りに聡は眩暈を覚える。


(――夏海の匂いだ)


彼女の部屋の狭いシングルベッドで、ふたりは隙間のないほど抱き合って過ごした。

彼女の髪に顔を埋め、聡は男であることに最上の喜びを知った。
荒い息の中、しっとりと汗ばんだ肌から立ち上る熱気は今でも忘れられない。想像するだけで聡を興奮に誘うのだ。

それはたったひと月……38年の人生で至福の1ヶ月だった。

理由など判らない。
だが、夏海には初めて逢ったときから逆らいようもなく、自然に視線も体も引き寄せられる。
今このときも――靴を脱ぐ仕草、屈み込んで聡の前にスリッパを置く動作も……この腕に子どもがいなければ、そのまま玄関に押し倒しているだろう。

夏海に向かう抑え様のない性衝動に科学的な説明がつくのなら、その止め方を教えて欲しい。

本気で願う聡だった。


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