弁護士先生と恋する事務員

 光射す


~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*



「―――お前、あの時の……中坊か」



先生は遠い記憶の糸を手繰るように目を細めて

それから感慨深げに深い息を吐いた。



「そ、その節はどうも…大変お世話になっちゃって」



伝えたい事はたくさんあったのに。

私の口から出てきた第一声はそんな間の抜けたセリフだった。



「……そうか、あの時の…」



ダイニングの窓からは心地いい風が吹き込んできて

先生の前髪をサラサラと揺らした。



「先生のおかげで、無事に大人になれました。」



そう言うと、先生と私は顔を見合わせて

なんとも複雑な表情で笑いあった。


*.....*.....*.....*


母親にあいつの事を洗いざらい告白した時、

母親はすごく私の事を心配してくれて、

あいつとは即刻離婚する!と言ってくれた。


先生が言った通り、母親は私を捨てたりしなかった。


それは私にとって、自分の存在意義を左右する重大な出来事で

私の生きる世界が光となるか闇となるか、

それぐらいの意味を持っていたんだ。


~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*


「三年前、偶然ネットで先生の事務所の名前を見つけた時、手が震えました。」



黒い革張りのソファーに二人並んで座ると、

先生は私の腰に手をまわして、横から抱きしめるようにして聞いてくれた。



「私を助けてくれたあのお兄さんが、弁護士になるっていう夢をかなえて、おまけに自分の事務所まで開いていて、もう…すごいって思った。」


「それで花を贈ってくれたのか。」


「はい。…でも、毎月お給料をもらうとまた送りたくなっちゃって…

先生と繋がっていられるのはあの花束だけだったから」


「俺がそれにどれほど勇気づけられたか。どんなに虚勢を張ったって、迷いや戸惑う事は常にあるんだ。」


先生は私の頭をくしゃくしゃくしゃ、と撫でてそう言った。



「佐倉… 桜か。」


先生は、確認するように、ポツリと呟いた。


「……気づいてやれなくてごめんな、詩織」


「えっ…いいえ!」



私は頭を左右に振った。


謝られる事なんて一つもない。

私と先生は、八年も前にたった一度、会ったきりなのだ。

むしろ私の方こそ黙っていてごめんなさいと言うべきなのに。



先生は私の体を引き寄せると

首筋に顔をうずめて、じっと動かなくなってしまった。



「……先生?」



静寂が、二人の間を流れていく。



「―――なんか胸がいっぱいになった…」



先生の声は、ため息と一緒に吐きだされた。



「お前、俺の所に来てくれたんだなあ…」



先生は私を抱きしめる腕に力を込めた。



「嬉しいよ、本当に」



私も、遠くの青空を見つめながら



胸が、いっぱいだった――

 
< 158 / 162 >

この作品をシェア

pagetop