明日、嫁に行きます!



 私は、久しぶりに懐かしい夢を見ていた。

 昔出逢った、オレンジの毛並みをした珍しい狼。
 家族で旅行に行った時、その土地の伝説で、佐原泉という泉の傍には赤毛の『狼神』がいると聞いた。
 その狼神様に出逢ってしまったら、花嫁として連れ去られてしまうというものだった。
 私はその狼が見たくて、早朝、ひとりで佐原泉まで行った。
 そして、見たのだ。
 泉の傍に横たわる、赤毛ではなかったが、オレンジ色の毛並みをした大きな体躯の狼を。
 赤く目を腫らした狼神様は、震える声で言った。

『もう、疲れた。このままいなくなってしまいたい』

 もう死んでしまってもいいと目の前の狼神様が言うものだから、私は怒った。

『それはダメ。今は疲れてそう思っても、狼神様を待つ人がきっといるはずだから』

 ――――その人のために、今はまだ辛くても、生きていなくちゃダメ。もし誰もいないのなら、私が待っててあげるから。

 これは、聖書から引用した言葉。フランスにいるお祖母ちゃんが、子守歌代わりに聞かせてくれたものだった。
 狼神様は、オレンジ色の体毛を揺らしながら近付いてきて、『お前が待っててくれるのか』そう問うたから、『うん。待ってるから迎えに来てね』って、私は答えたんだ。
 そして、狼神様に名前を教えた。
 名前って結構大事なんだ。フランスのお祖母ちゃんがいつも言ってた。名前はその人の魂を司るものだからって。
 私は、お祖母ちゃんと私しか知らない秘密の名前を教えてあげた。

 狼神様は、『お前の顔と、その名は決して忘れない』って、綺麗に微笑んだんだ。


 意識が急激に浮上し出す。夢から覚めるのだと頭の端っこで悟った。
 ふっと目を開ける。

 ――――確かにあれは狼だったのに。

 なんで私、怖がらなかったのかな。
 幼い頃の自分が不思議でならない。剛胆にも程がある。今となっては、それが現実か幻かなんてわからないんだけれど。
 子供が見たただの空想、夢だったのかも知れないし、そんな不可思議なものが本当に存在していたのかもしれない。

 ――――もうずっと、見なかった夢なのにな……。

 懐かしさと共に、今まで忘れていたことに驚いてしまう。
 私は大きく伸びををしようと両手をあげかけて、愕然とした。
 両手がまだ縛られている。
 それに……この違和感。常とは違う、大きな違和感が私を戸惑わせた。

「――――ッ!!」

 ……ッ嘘! 嘘だ、やだやだ……っ、中に、まだ――――。

 一気に熱が集中する。羞恥に息が出来ない。胸の鼓動は速く、強くなるのに、浅い息しか出来なくて。苦しさに顔を顰めた。

「やっと目が覚めたか」

 うなじを震わすようにして落とされた笑み声に、戦慄した。
 後ろから拘束するようにして、私は鷹城さんに抱き込まれていたんだ。

「た、かじょう、さん? あの、まだ、まだ……中に、」

「起きてくれて良かった。ひとりで遊ぼうかと思ってましたから」

 ―――貴女のカラダを使って。

 恐ろしいセリフに背筋が凍った。

「甘いですね。まだですよ。まだ、僕は貴女を許してはいません」

 許してはいない。
 その言葉に、やはり彼の『天使』だと偽ったことを、鷹城さんは許せないでいるのだと、私は哀しみの中悟った。

「ご、ごめんなさ、」

 謝罪の声が驚くほどに嗄《しゃが》れていて。
 けれど、謝罪の言葉も最後まで言わせてはもらえなかった。
 ぐりっと腰を押しつけられて、私の口から細い悲鳴が上がったから。
 彼の手のひらが私の胸を掴み、そして、もう片方の手が私の足の付け根に伸びた。

 ――――う、嘘ッ、もう、やッ……!

 彼を怒らせるとどれほど恐ろしいのか。

 私は、嫌と言うほど身をもって思い知らされた。



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