会いたいのに 言えない
会いたいのに 言えない

 先生は私の恩師であり、上司でもある。

 建築士専門学校で出会ったせいで、上司になって2年も経った今も呼び方は「先生」のまま。

 独立して事務所を持っている傍ら、学校で講師役も担っている先生は非常に忙しい。

 同じ会社に通っているのに、数日顔を見ないことなんて、ザラ。

 今回なんてもう、2週間も顔を合わせていない。来る日も来る日も出張だの講演だので、事務所にいない。

 学生の3年間、ずっと秘めていた想いを社会人になって流れで告白してしまったものの意外にうまくいき、これで晴れて恋仲になれると喜んだのも束の間。今度は恋人としての時間がとれない。

 日曜の今日も、先生は出張中。早ければ、午後には帰宅する予定らしいが、予定が未定になることも多々有り、期待して裏切られるのも慣れっこだ。

 友達にその話をすると、まず「ふーん」と言われる。

 会社の社長兼専門学校講師、37歳独身のイケメン。

それだけで浮気を疑われてるんだろうなと思う。

 確かに、私なんか相手にしてくれてるなんて夢みたいな話で、浮気されたって仕方ないんだけど。

 隠してくれるのならいいか、とか。

 例え遊びでもいいか、と一応心の隅で秘かに自己防衛はしている。

でもそれが現実味を帯びないように、最初から無理を言わないことも徹底しているし、仕事の邪魔をしないために、こちらから電話もしない。

その自分ルールを守るだけで随分疲れるけど、仕方ない。

 付き合って、まだ3カ月。何度か寝たけど、逆にその度に辛くなるというか。朝が嫌になるし、つい「行かないで」と言ってしまいそうになる。

「置いていくの?」と。

 そんな面倒な女になってはいけない。

 例え遊びだったとしてもいいから側にいてほしいんだと、自分の意思を再確認する。

溜息を吐いた。

そんなことをただ考えているだけで一時間も経過してしまった。

今日もし、会うどころか電話もなかったら。電話がないことを嘆いて、悲しんで、泣いて一日過ぎていくんだろう。

そしてもし、明日会社で会ったのなら、どうしてうちで寝てくれなかったのかと疑ってしまうんだろう。

ピンポーン。

突然のインターフォンに、驚いて辺りを見渡した。目に入った掛け時計は、午前11時をさしている。

まさか、先生!?

でもどうしよう……私、パジャマのままだ……。

困惑しながら、除き穴で確認する。

「あっ、先生、今開けます!」

 レンズ越しの顔を見た瞬間、自分がスッピンであるということなどを全て忘れて、急いでチェーンを外し玄関のドアを開けた。

「おっ、サンキュ。両手が塞がってるから助かるよ」

 見れば、右手には仕事のバック左手にはお土産らしきビニール袋が膨れており、先生はすぐにそれらを玄関で下した。

「あっ、お疲れ様ですッ」

 慌てて頭を下げて挨拶をする。

「疲れたー。上がっていい?」

 先生は、靴を脱ぐ前に必ず確認してくれるけど……。

「あっ、はい」

 何でそんなこと聞くんだろう。その言葉がちょっと不安にさせる。

「まだパジャマだったんだ」

「あっ、すみません。その……今日は予定がなくて……」

「……、いや、いいよ……。……」
 
 アパートはワンルームなので、すぐにベッドの前までたどり着いてしまう。

「えっと、お茶でも……」

 座る場所を確保しながら玄関をちらと見た。

 あんなにたくさんのお土産誰にあげるんだろう。

 私にはお土産、ないんだろうか。

 最初は何回かもらった気がするけど。

 もうそういうのは面倒になったんだろうか。

 私の不安をよそに、先生は肩に触れてきた。

すぐに軽く口づけ、パジャマのボタンに手をかける。

「さっきまですごく疲れてたはずなんだけど……疲れがふっとぶね……」

 裸を見てそんなこと言われても……。

 そうじゃなくて、私が聞きたいのは……。

「先生……」

 上目使いで見上げた顔は、確かに疲れが出ているようだが、それでも凛々しく整っていて。

 失いたくない。

何も聞いちゃダメだ。と強く思わせられる。

 まずは先生が良いようにしてあげないとダメだ。

 そう思えば思うほど、息苦しくて、辛くて涙が出そうになる。

 だって、先生……。何で電話くれなかったんだろう。

 だって昨日の夜言ってくれれば色々違ってたのに。

 それに、まずは抱きしめて欲しかったのに。

いきなり服脱がすところから始めるなんて。

 先生、もしかして私以外の大切な人には「愛してる」とか言って抱きしめているのではないだろうか。

 先生、私が先生を好きだという気持ちを利用してるんじゃないだろうか。

 先生、先生、先生……。

「久しぶりで、ごめんね」

 でも不意にそんなことを言われると、疑念が一瞬で吹き飛んでしまう。

 先生、遊びでもいいから捨てないで。

 何番目でもいいからここに来て。

 いつでもいいから、いつだって待ってるから。

 先生、私、電話したいなんて言わないから。

 会いたいなんて言わないから。

 わがままなんて言わないから。

 何でも言う通りにするから。

ここで抱いてくれればそれでいいから。

 私のこと、嫌いでなければそれでいいから。
 
将来のことなんて何も考えてないから。

 ただここで。

 触れてくれればそれでいいから……。

「……また泣かせた……ごめんね」

 そう言われて、ハッと思い出した。

 そういえば前回も途中から気持ちがごちゃごちゃになって、最後の方、泣いてしまっていた。

「す、すいませんっ、その……」

 落ち着いたシーツの中で、慌てて横を向いて涙を拭いた。謝っておかないと、面倒臭い女丸出しだ。

「…………何してた? 先週……って仕事か」

 先生は後ろから抱きしめながら聞いてくる。

 けど、本当は私のプライベートな事なんて、どうだっていいに決まっている。

「予定の仕事が全てできたので、専務から他の仕事の指示を頂いてます」

「あそう! 早いなあ……いつもよくできてるし、ほんと助かるよ」

 まあ多分、そういうことだろう。社員をただで手懐けるにはもってこいだ。

 そう思っていながらも、背後から伸びてくる、太い腕や大きな手に逆らうことなどできやしない。

「……付き合い始めたのって、3か月くらい前だっけ?」

「はい……」

 ほら、あんまり覚えてない。

「なんか、記念日パーティしようか。夜はいいとこ食事に行こうか」

「…………」

 嬉しくて、仕方がないのに。すぐに、良い料理が食べたいだけなんじゃ、とすり替わってしまう。

「んー? そうか、家でなんかする? って言っても僕料理下手だけど」

「…………」

「どうしたの? 何で黙ってる?」

「ど、どっちにしようか、迷ってて……」

「うん……。他にしたいことあるんなら言って? なんか、記念のプレゼントとかがいいかな。いや、それはサプライズの方がいいのか……」

 ってそれじゃあサプライズにはなりませんけど……。

「どうしよう……」

 言いながら、どっちがいいのかなんて全然考えてない。

 食事云々の前に、純粋にしたいことが頭に張り付いて。

 本当に記念日を祝ってくれるのなら、毎日電話するとか、そういう約束の方がいいし。

 でも、そんな約束したところで面倒だと思われるのがオチだし。

「…………」

 なんだろう。好きなのに、何でこんなに物足りない気がするんだろう。

 こんなに近くにいるのに。

 そばにいるのに。

 今こそ、チャンスなのに。

 離れなきゃいけないんじゃないかと思ってしまう。

 近づきすぎると迷惑になるんじゃないかと思ってしまう。

 そんなこと、言われたことないのに。それが正しいんだと思ってしまう。

 別れる勇気なんてないけど、別れた方がいいのかと考えてしまう。
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