りんどう珈琲丸
 わたしが次に彼女に会ったのは、この竹岡駅の待合室だった。その日は日曜日で、わたしは電車に乗って木更津まで模試を受けに行った。その帰り道、無人の竹岡駅の待合室の椅子に、彼女はなにかを考えるように下を向いて座っていた。わたしははじめ彼女に気づかずに通り過ぎてしまったけれど、振り返ってみたらそれは間違いなくあの日マスターに会いに来た女性だった。
 わたしは一緒にいた友達たちと駅で別れて、待合室に戻る。


「あの…」
 彼女が驚いたように顔を上げる。
「はい?」
「あの…このあいだマスターに会いにきてくれた人ですよね? 高橋さん」
「あっ、アルバイトの…波岡さん」
「はい。こんにちは」


 彼女はこの間みたいにスーツじゃなくて、色の落ちたデニムに白いシャツを着ていた。でもその洋服はスーツのときの彼女と同じくらいとてもしっくり体に馴染んでいて、洋服が気持ち良さそうに見えた。お化粧ももっとカジュアルだったけど、それでも彼女は充分すぎるくらいきれいだった。


「こんなところで、どうしたんですか? お店の帰りですか?」
「波岡さんは今日はアルバイトはお休み?」
「はい。高橋さん。柊でいいです。わたしのこと、柊って呼んでください。みんなそう呼びますから」
「うん。じゃあわたしのことも美篶って呼んで。わたしの名前は高橋美篶っていうの」
「はい。美篶さん」


 わたしは彼女の横に腰掛ける。竹岡の駅の待合室は小さくて簡易的な四角い箱のような部屋だ。駅員さんはいないから、改札の隣にカードをタッチする機械がひとつあるだけ。わたしが小さい頃、ここはもっと古くてコンクリートが打ちっぱなしの待合室だった。カードをタッチする機械もなかった。わたしはそのときの土埃の匂いのする待合室の方が好きだ。ここに毎年ツバメが飛んできて、巣を作っていた。春になると子供が生まれて、そこで口を開けて鳴いていたんだ。でもここが新しくなったら、ツバメたちは巣を作らなくなってしまった。あの子たちはいったいどこに行ってしまったんだろう。


「あの、美篶さんもしかしてお店…行ってないんですか」
「うん。柊ちゃんのひとつ前の電車でここに着いたの」
「ひとつ前って、1時間以上前じゃないですか。ずっとここに座っていたんですか?」
「うん」
「でも、美篶さんマスターになにか用があるんですよね?」

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