ホットケーキ続編のさらに続編【玉子焼き】
11.朝食
 クルクルと掻き混ぜる菜箸をペロリと舐めて首を傾げた大沢がほんの少し眉根を寄せる。レタスをちぎっている湖山はその眉を見て、いつもの通り「今日も健在」と思う。ニュースは天気予報を流している。今日も真夏日だ。
 「車で行こうよ。」
 と湖山はレタスをちぎる手を止めて言う。
 「いいよ。」
 大沢は砂糖を足して、また菜箸を舐めた。
 湖山の母が作った玉子焼きはいつもほんのり塩味だった。甘い玉子焼きは鮨屋で食べるけれど、家では食べない。でも、大沢が朝ごはんを作る時はいつも甘い玉子焼きだ。
 「シャンプーが切れてる」
 玉子焼きを流したフライパンがジュッと音を立てるのと同時に大沢が言った。
 「そっか?」
 「今日忘れないで買ってこよう。あそこ、一階に生活雑貨が売ってたよね。」
 「売ってた。しかも安い。あとトイレットペーパーも買いたい。」
 「うん。」
 大沢は器用に玉子焼きを巻く。真剣な表情で丁寧に玉子を巻きながら、二つの皿に盛られたレタスをチラリと見て、それから湖山を見て、にこりと笑った。
 「気に入るのがあるといいな。」
 「うん。」
 大き目のベッドを買いに行く。まだ夏だから蒲団はもう少し後でいいだろうか。巻き上がった玉子焼きをまな板にのせて、大沢は得意げにそれを見つめた。
 「美味しそう」
 と湖山が言った。黄色い玉子焼きがほかほかと湯気を立てている。食パンの袋を開けながら大沢がパンは?と湖山に聞いた。一枚、と答えながら冷蔵庫からマーガリンを出す。こんな風に二人で立つ台所の平和な朝を、湖山は何よりも大切に思う。

 「ねえ」
 不意に大沢が真剣な声で湖山に呼びかけた。
 「んん?」
 トースターを見守っていた目をそのままに大沢を振り向いたが大沢は湖山の目を待っているらしかった。
 「ん?何?」
 トースターから目を離し、大沢を見ると、こんな朝にはあまりしないような真剣な目で湖山を見ている。カウンターに掌を後手に掛けて寄り掛かるようにしていた。
 「昨日さ──」
 言いにくい事を言い出そうとしている。湖山をじっと見つめていた目を逸らして、大沢が何かを言う時は大事な何かを言い出したくて、言いにくいなと思っている時だ。
 「昨日?」
 「昨夜。湖山さん、『来る』って言ったよね。」
 「何?何の話?」
 「お帰り、って言った後で、『今日は来ないと思った』って、言った。」
 「あぁ、うん。言ったね。」
 大沢は床に落していた目を上げて湖山を見た。お互いに黙って何も言わない。湖山も大沢も言葉の続きを捜していた。
 「いつか──」
 先に言葉を発したのは大沢だった。
 「お帰りって言ったその後で、湖山さんがただ笑ってくれる日が来たらいい」
 なんでもないほんの些細な言葉に傷ついた大沢が小さな棘を抜くように慎重に言葉を選んでそう言った。
 「ごめん。」
 他に言いようもなくて素直に詫びると、大沢は首を傾げて笑った。
 「違うんだ。そう言わせちゃう俺の事を、許して欲しいって意味。」

 トースターのタイマーがゼロを回ってチンと鳴った。焦げすぎたトーストが煙を上げている。
 「あ!」
 二人同時に気づいて顔を見合わせて笑った。
 「ごめん。」
 「ごめんごめん。」

 今日切った玉子焼きは美しく黄色い切り口を揃えて、湖山がちぎったレタスの横に添えられる。赤い小さなトマトが転がって、黄色い玉子焼きにこつんとぶつかった。湖山は大沢を見上げる。
 「自惚れる」
 「ん?何?」
 「この、有能なアシスタントを育てたのは、俺」
 「違うよ。」
 「え?」
 「俺の愛」
 「そ…ね」

 ほんの少し、タイミングを間違えれば焦げてしまう。繰り返す毎日の中で、何度でも何度でも伝える愛の言葉を、お互いに投げかけ、受け取り、胸にしまい、あるいは受け取り損ねる日もあって、一瞬一瞬を積み重ねていく。分かり合える事も、分かり合えない事も、譲り合ったり、物別れたりしながら、いつかついえていく日まで二人でいられるのだとしたら、身体など無くなった後にもきっと、伝わるものがあるはずだ。愛しているという言葉を舌先に乗せたまま、まだ言えない言葉を抱えたまま、新しい食パンをトースターに入れるように、新しい日が今日も始まる。


終わり






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