【続】三十路で初恋、仕切り直します。

「……泰菜は察していたみたいだけどさ」


全身で拒絶を示すように固く身構えていると、そんな泰菜を見て長武がさびしげに口元を歪めた。


「俺はね、女が飯を作るのも、掃除洗濯するのも、当たり前だと思っていたし、今もそう思っているんだよ。だから千恵は若くておまえほど気が利かないけど、女なんだから付き合ってる間は出来なくても、結婚ってきっかけさえあれば家事くらいするようになって当然だって、そう思ってた」


だってそれが女の務めってものだろう?と長武はあたらしい煙草に火をつけながら言ってくる。


「それをあいつ、専業のくせにろくに料理はしないわ、家の中は散らかり放題だわ、俺のことどころか自分の世話すらろくに出来てなくて。あれじゃなんのために家庭に入ったのか……おまけに嫉妬深くて、仕事で忙しいことくらい分かるはずなのにいちいち束縛がひどくて。まったく、若くてちょっとかわいいくらいしか、取り得がないやつでさ。付き合ってる間はそれでもよかったんだけどな……」



苦々しそうな顔をして紫煙を吹き出す。



「その点、おまえはいつもさらっと家のことこなしてたよな。忙しい時期でも苛々したりヒステリーなんて起こさないで、いつも俺の前で機嫌よさそうににこにこしてたし」



--------だってそのときは、いずれあなたに裏切られることになるとは知らなかったから。



長武は亭主関白みたいなところがあって、身の回りのことがきちんとこなせないことをひどく嫌っていた。だからどんなに残業で遅くなっても、いつ長武が泊まりに来ても大丈夫なように家の中は常にきれいな状態をキープしていた。

料理だって手早く作れて且つおいしくて見栄えのするものを、主婦のともだちにおしえてもらったり、レシピを買って休日にためしに作ってみたりしてレパートリーを増やしていた。

長武はつくったものを「おいしい」と褒めてくれることはあっても、泰菜が自分に尽くすことを「当然」という顔で受け止め、感謝してくれたことなんてろくになかった。


だからときどき長武のためにがんばり続ける自分に疲れを感じることもあった。けれど長武のことが好きだったから。この先もずっと自分の隣にいてくれるのだと思っていたから、つらいときでも馬鹿みたいにいつもにこにこ笑っていられたのに。

泰菜が彼に向けた精一杯の好意を「若い女の子との浮気」という残酷な形で踏みにじったのは長武だ。


事実を目の当たりにしたときはつらくて。しかもどんなにつらくても、職場に行けば彼と彼の浮気相手である同僚の千恵と顔を合わせなければいけない現実には身も心もぼろぼろにされた。



でも傷つけられたことも、その痛みも、今の泰菜にとってはもうすでに遠い過去のことだ。



「付き合ってたときは正直、女なんだからそれくらいして当たり前だと思って泰菜がしてくれたことをありがたいとも思わなかったよ。けれど、あいつと結婚してよく分かった。出来ない女は結婚しようが出来ないままだし、そういう女は自分が家事を出来ないことに焦りも恥じらいもない。……要するに子供なんだよ、あいつは。そんな女がもうすぐ母親になるんだから、最近は毎日憂鬱でな」


その点おまえは本当にいい女だったよな、と長武がしみじみと呟く。



「おまえだったら、間違いなくいい母親にもなれるんだろうな」


浮気した挙句に捨てた女相手に、なんて無神経なことをいうのだろうと思う。

でも多分長武には何の悪意もないのだろう。千恵とのことだって、きっと自分にも悪いところがあるなんてすこしも気付いていないのだ。怒りのような憐れみのような複雑な気持ちで、思わずお節介な一言が口からこぼれていた。



「……本当に子供ですね」



泰菜が呟くと、長武がぱっと顔を上げて「だろう」と強く同意を求めてくる。


「そうなんだよ、千恵はいつも」
「千恵ちゃんじゃなくて、課長がですよ」





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