【続】三十路で初恋、仕切り直します。

『色気も度胸もありやがる、ああいう手合いの手綱引くのも結構骨の折れることだろうよ』

田子は別れ際、泰菜に言っていた。

『……でもよ、桃木さんがおまえを幸せにしてやる気満々なのはよく分かった』

だから安心したとばかりに微笑んだ班長が、なんだかさびしげな顔に見えて。『とびきり幸せになってやりますよ』と何も気付かぬフリで冗談っぽく返すことしか出来なかった。





「田子班長も井野さんたちも、おまえにシモネタで絡みまくってくるところは正直ちょっと気に食わないけど。まあ、でもいい職場みたいだな」
「すぐ機械油だらけになっちゃって、怒鳴られてばかりだけどね」


笑って答えると、いくらか表情を改めた法資は独り言のように呟いた。


「……辞めるの、名残惜しいか」


そんなことを訊かれるとは思ってもみなかったので、うまく答えられない。


法資と結婚したいという思いはずっと変わらないけれど。


祖父と暮らしていたときも周りの友達が次々に結婚を決めていった時も失恋したときも、仕事に支えられ救われていた面があるから、それを失うことをまだうまく想像出来ずにいる。


何度ももう辞めたい、辞めてやると思ったはずなのに。


正社員として勤め、時間を掛けて一生懸命やってきたことで職場の人間から信頼を勝ち取り、相応の稼ぎも得ていた。ある意味そうやって社会人として自立出来ている自身を今まで精神的な拠り所としてきた。

けれど仕事を手放せば、資格も持たない自分は年齢だけがかさんだただの何も持っていない大人でしかなくなる。だから不安とも恐れとも、寂しさともつかない気持ちに囚われそうになるのも無理もないのかもしれない。


この感傷が仕事への未練なのか、それともまだ不確定な結婚というものへの不安ゆえなのか分からない。だから今は流れていく外の景色に目をやりながら、話題を逸らすことしか出来なかった。


「そういえばどうしよう。明日の朝食べられるものあったかな。コンビ二寄ってもらってパンでも買う?」


法資はいくらか何か言いたそうな顔をした後。それを堪えるように苦笑すると「それは心配ない」と言う。


「家に赤飯あるから、朝食はそれ食えばいいだろ」
「お赤飯?なんで、」
「隣の飯田のばあちゃんが昼間届けてくれたんだよ」




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