過ちの契る向こうに咲く花は
 直帰でいい、と言われたのはありがたかった。帰ったらシャワー浴びてベッドに行こう。そこまで考えて水原さんと別れてからふと気づく。今の部屋は伊堂寺さんのところだった。
 と言っても元々の部屋を引き払ったわけではない。鍵だって取り上げられたわけではない。
 私は真っ直ぐ、自分の部屋へと帰ることにした。のだが。

 電車を乗り換えるために改札を出ようとしたところにいた。伊堂寺さんが。

 もうそのオーラというか存在感は生半可なものじゃなかった。帰宅ラッシュではないとはいえ、そこそこ混んでいる改札出口。そのちょっと先に立っているだけ。それなのに周りのひとや雑多なポスターなんかが目に入らないぐらい「伊堂寺巽、ここにあり」だった。
 しかも明らかに私を見つけているのに、微笑むどころか眉毛ひとつ動かさない。いや微笑まれるなんて思ってもいないけれど、それにしてもその睨みつけるかのような眼差しはいただけない。
 若い女性たちが通り過ぎながら伊堂寺さんに見惚れていたり話をしたりしているが、その怖い顔のせいで話しかけることはできなさそうである。

 出たくなかった。改札を出たら連れて行かれるに決まっている。無理矢理車に乗せるようなひとなのだ。駅で大勢の前だからって自重するとは思えない。
 でも条件付きとはいえ同居していた身だ。いずれは話さなきゃならないだろうし、どっちにしても明日会社で会う。
 今日だけは顔を合わせたくなかった、と思う気持ち半分。
 いずまでももやもやしてるよりさっさと決着つけたほうがいい、と思う気持ち半分。

 改札の前で迷惑な人間になりながら、しばし逡巡。やがて「邪魔」という声に身体が反応し、息を吐いた。
 改札に切符を通し、真っ直ぐ歩く。不思議とすんなりひとの波を抜けた。

「おつかれさまです」
 どう言ってやろうか、なんて考えてもいなかった。新幹線の中ですこしは想像しとけばよかったなと思いつつも、きっと私にはできっこないだろう。
「ああ」
 だってこの調子だ。無愛想、無表情、おまけに声も低い。こんなひとに文句や悪態のひとつもつけるほど、度胸も根性もない。

「すこし話がしたいんだが」
「駅前のファミレスでいかがですか」
「かまわない」
 そっけない会話だった。そのまますぐにふたり歩き出した。ちょっと距離を置いて。
 
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