君に物語を聞かせよう
9.拒絶
「蓮! いつ来たの!?」

「一時間くらい前」

「もう。連絡くらい早くしてよ」


めぐるは、俺を見限ることをしなかった。
どころか、俺のしたことをなかったことのようにして、接してくれた。いつだって、出迎えてくれた。
多分、泣かせたと思う。笑顔の陰に、辛い時間があったと思う。
それでも、俺の前では幼馴染の顔をしてくれた。

それに甘えて、五年の月日を重ねた。
何も言わないめぐるに感謝しながら、俺は与えられた状況に身を沈めていた。

このままではいけないと、思っていた。
あの時の事を、埋もれさせたままではいけないと。
しかし、言えなかった俺は、相変わらず身勝手で傲慢であったのだ。
めぐるの笑顔に、消え去らない陰りがあるのを知っていて、気付かないふりをし続けた。

だから、こうなってしまうのは、当然と言えば当然で、俺が受けてしかるべき罰であったのだ。


「おい、めぐる。馬渡く……」

「あ……蓮、これは、その!」


めぐるが、男に抱き留められていた。
僅かに上気した顔が強張っていくのを、コマ送りのように見ていた。


「これは、失礼」


動揺、していたと思う。しかし俺の行動は、頭を下げて適当なことを口にしただけだった。
どころか鏑木くんを食事に誘い、夕食を共にした。

何を考えているのだろう、俺は。
目の前の、程よい距離を保った二人を眺める。
二人の仲を確信に変えたいのか。それとも、違うと思いたいのか。
分からないまま酒量だけが増えていった。

酔って、自身を見失いかけて。
情けないことに、気付けばめぐるの上にいた。


「めぐ、る……?」

「なに? どいて」


吐息が絡むほど近くにめぐるの顔がある。その瞳は、暗がりであっても潤んでいるのが分かった。すぐにでも涙が溢れだしそうだった。

なんで、泣きそうな顔してんだよ。
俺が、させてる?
俺が、嫌か?

何か言おうとしたのか、めぐるの唇が動く。そこから何の言葉も発して欲しく無くて、俺は自身の唇を重ねていた。


「ん……っ」


柔らかな感触を知れば、止まらなかった。
無理やり舌を割り込ませ、甘い口中を犯した。温かでふわふわした躰に手を這わせた。

何も言うなよ、めぐる。
俺を拒否するな。
他の男に触られんな。
他の男を見んな。


「痛……っ、れ、蓮……」


めぐるの瞳が揺れる。恐怖か、嫌悪か。
それだけは嫌だと思っているくせに、止めることは出来なかった。

しかし。めぐるが強張らせていた躰の力をふっと抜いたのが分かった瞬間、「だめだ」となけなしの理性が働いた。

このままでは、五年前と同じだ。
同じ過ちを犯して、また、めぐるを傷つけてしまう。

あの夏の、めぐるの泣き顔が蘇る。
あんな顔を、再びさせるのか。
アルコールで浮かされた頭が、すうと冷えていった。

躰を離せば、めぐるが驚いたように目を見開いた。


「蓮……?」

「悪い。ふざけすぎた」


馬鹿みたいな言葉を吐いた。
ふざけて、ってどれだけ情けない台詞を口にしてるんだ。
けれど、何一つ、上手い言葉が出てこない。


「私は蓮にとって、なに?」

「なにって……」


大切な存在だ。お前がいなくちゃ、俺は書けない。
けれど、そんなこと言えない。


「妹だ」


んなわけねえだろ。とっくの昔にそんなカテゴリねえよ。
俺の背中をめぐるが弱々しく叩いた。


「じゃあなんで、なんであのときは……私を抱いたのっ」


必死の問いに、気の迷いだと答えた俺は、最低だと思う。
結局、こうだ。徒に手を出して、めぐるを傷つけて泣かしてしまう。


「蓮、バイバイ」


背中に何かが当たって落ちた。
しばらく動けなかった俺は、ゆっくりと振り返り、布団の上に落ちていたものを拾い上げた。


「これ……」


めぐるに贈った、リュイのネックレスだった。
とっくの昔に、いや、贈ったときに、捨てられていたと思っていた。
めぐるの温もりが残ったそれを、手のひらに握り込む。

ずっと、つけていてくれたのだろうか。めぐるがこれを未だに持っているなんて、身に着けているだなんて、気付きもしなかった。

めぐるはまだ俺のことを、いや、俺の創る世界のことを想っていてくれたのか。


『待ってる』


五年前、そう言ってくれたあの子を俺は傷つけた。そして今に至るまで、あの子を喜ばせられるような話は何一つ書けていない。
それなのに、めぐるはあれからずっと、待っていてくれたのか。俺が贈った、拙い世界の欠片をずっと、持っていてくれたのか。


「悪い……」


小さな鉱石に呟いた。

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