君に物語を聞かせよう
8.後悔
玄関のドアの前に、思いつめた様子のめぐるの姿を捉えた瞬間、抱きしめそうになる衝動に襲われた。

ふらふらと頼りなく立ち尽くし、顔色は真っ青。泣きはらした瞳だけが赤かった。
まだ風邪の具合もよくないのだろう。無理して、どうしてここまで来たんだ。
いや、来るだろうということは、予測していた。あんな風に帰ってしまったのだ。
俺の本意を訊きに来るのは、当然だろう。


「あの、あのね、蓮」


痛々しい笑みを浮かべ、めぐるがたどたどしく言葉を零す。


「めぐる」


名前を呼ぶ。俺はどんな言葉を続けようとしているのだろう。
お前の気持ち、嬉しいと思う。俺も、お前が欲しい。欲しかったから抱いた。
そう言えばいいのだろうか。
言えば、その血の気のない顔に笑顔を浮かべてくれるのだろうか。

お前の必死の告白は、どれだけ俺の心を揺さぶったと思う。頭のどっかを確実にイカレさせたんだ。あんな感覚、早々経験できない。それくらい、嬉しかった。あの時、俺はお前しか見えていなかった。
言えば、お前は何て言うだろうか。


『……今度は、めぐるちゃんが苦しむ番ね?』

 
背後で、美恵の声がした。


『蓮はめぐるちゃんを抱くべきじゃなかった。突き放すことが、最後の優しさだったはずよ。彼女を拒否しなくちゃいけなかった。蓮は』


俺は、なんだ。なんだ、美恵。


『めぐるちゃんを幸せにできないくせに。苦しめて、傷つけるだけが、蓮なのに』


「あっ、あの、あのね。私、蓮が好……」

「ごめん、めぐるをそういう目では見られない」



めぐるの言葉を阻むようにして言った。
大きな瞳が見開かれ、輝きが失せる。

そんな顔、しないでくれよ。


「俺、今、仕事してるんだ。もう帰ってくれ」


捲し立てて、めぐるの返事も待たずにドアを閉めた。
カギをかけ、扉に背を預ける。
片手で顔を覆い、大きく息を吐いた。


「これで、いいだろう、美恵」


指の隙間から見れば、美恵が立っていた。
さっきまで饒舌だったくせに、黙って俺を見つめている。


「俺は、めぐるを幸せに出来ない。わかってるさ、そんなこと」


身勝手で、傲慢で。そんな俺がどうしてめぐるを幸せに出来るだろう。
なにより、怖い。
あの瞳に、憎しみや嫌悪が浮かぶかもしれない。俺を拒否するかもしれない。
あの瞳があったから、めぐるがいたから、俺は今こうしていられる。
それを喪ってしまえば、俺はきっと己を保っていられない。


「ごめ……。蓮……、ごめんね……」


ドア越しに、めぐるの涙混じりの声が聞こえてはっとする。
数センチの厚みの向こうに、めぐるの気配がある。めぐるが泣いている。
開けたくて、しかしそれはできない。


「いい加減、帰れ」


撥ねつけるように、言葉を強くして言った。
まだ、今なら引き返せるだろうか。
めぐるは、俺から離れて、もっと幸せになれる道へ進めるだろうか。


美恵は、何も言わない。



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