溺愛御曹司に囚われて
私はぶんぶんと首を振って雑念を振り落とすと、勇んでコンクール会場へと足を踏み入れた。
コンクールの名前が書かれた大きな立て看板を通り過ぎて自動ドアをくぐる。
ロビーにいるのはおそらく、大学の先生やコンクール関係者ばかりだと思う。
ときどき、学生の姿も見える。
至る所で挨拶が交わされていて、きっとみんな知り合いなんだろうなあと思った。
首からカメラを提げて、ひとりでタバコを咥える人もちらほらいる。
きっとあれは別の社の記者なんだろう。
私は今日、いろいろ迷った末に実衣子のクローゼットから落ち着いた印象のブラウスとスカートを借りてきた。
丸襟の真っ白のブラウスに、深い青色の綺麗なシルエットのフレアスカート。
丈も膝までしっかりあって、実衣子の服の中ではかなり地味なものを選んだ。
足元は昨日と同じ、高さのないぺったんこの黒いパンプスを履いている。
「あら、小夜ちゃん?」
階段を上りりきって、ホールに続く重たいドアに手をかけたとき、うしろから聞き覚えのある声に呼び止められた。
ハッとして振り返る。
「秋音さん!」
「やっぱり小夜ちゃんじゃない! どうしたの、こんなところで」
まさかこんなところで秋音さんに会えるとは思っていなかったからうれしいし、ちょっとホッとしてしまう。
秋音さんは紺色の無地のワンピースを着ていた。
肩にかかった真っ赤なミニバッグと、同じ色のハイヒールを履いている。
私は少し興奮気味に、このコンクールの記事を書くために来たことを説明した。
「それで、種本月子さんの記事を……」
私が種本月子の名前を出すと、秋音さんは少し困惑したような顔をする。
彼女もあのネットニュースを見たに違いない。
秋音さんは私と高瀬のことをとても好意的に応援してくれているようだったけど、種本月子は彼女の大学の後輩だし、演奏家としてよくメディアに取り上げられる者同士、面識があってもおかしくはない。
秋音さんはあの記事を読んで、なにを考えたんだろう。