◇東雲庵◇2014〜2017◇
マンガと言論・1
8月22日金曜日

台風による豪雨被害、広島の土砂災害。お盆からこちら、異常気象による被害が相次ぎました。みなさんがお住まいの地域は大丈夫ですか?
「ゲリラ豪雨」なんて言葉が世に出て、はや何年になるんだろう。雨の降り方が変わってきたことを実感していながら行政システムが対応しきれず、毎年こういう被害が日本のどこか(とはいえ主に西日本)で起きている。1時間に100ミリの雨、って、聞きなれてしまった感も。気象庁では去年から(だったかしら?)特別警報の運用が始まったけど、「50年に一度の規模」と言われても正直ピンと来ない。みんなこの「ピンと来ない」感覚のまま、想定外の事態を迎えてしまう。そんなことが、もう 何年も、何例も、続いている。「想定外の事態」が「想定内」になる日はいつだろう。行政側を責めているわけではない。避難指示を出す判断をするのは、難しい。でも情報集約している間に鉄砲水は来てしまう。市民側としては他人任せにせず、自分の身は自分で守る努力をしなくてはいかんな、と身を引き締める次第。とりあえず車に窓ガラス割るハンマーは載せておこう。

さて、いつもの長いご挨拶はこのくらいにして。

きょうは私の愛する漫画についてぐだぐだおしゃべりしていこうと思います。と言っても、作品について語るのではなく(そんなことしたら頁がいくらあっても足りないでやんす)漫画というメディアそのものについて。漫画だからこそ言えること、描けることがある、とわたしは思うので。結構言いたいこと言うのでもー付き合えんと思ったらそっと席を外して下さい。

突然ですが、みなさんは
電車のなかで漫画を読めますか?

わたしは、堂々とは出来ません。

新聞は読めます。
小説も雑誌も読めます。
でも、漫画は読めません。読むならコッソリ読む。

この抵抗はなぜでしょう。
それは、「恥ずかしい」からです。

上記はたとえ話ですが(別に電車内で漫画を読む人を批判しているわけじゃないんです。私だってどーしても続きが気になる漫画だったら我慢できなくて読んじゃうしっ)要は、漫画というものの世間的な「地位」について確認しておきたかったのです。

漫画は、これだけの巨大市場に成長していても、あくまでも「サブ」カルチャーでしかないんですよね。片手間に楽しむもの。
誤解のないよう。わたしは、もう今更こんなこと言わなくても周知の事実だと思いますけど、漫画なんて大好物ですよ。大事なことは、みんな漫画に教わったし。…源氏物語や学研マンガ『日本の歴史』シリーズは言うに及ばず、ことわざだって世界の名作だって、悲惨な戦争の現場も、社会問題に至るまで、ぜーんぶ漫画が教えてくれた。だから大好きです、まんが。

けれども。

漫画はあくまで娯楽です。高尚な文学でも崇高な芸術でもありません。公衆の面前で堂々と広げて読むのは、なかなか勇気が要るものです。人目が気になります。ゆえに漫画はとにかくパーソナルスペースで楽しむ。これに限ります。

まぁ大人としての分別とも言えるでしょうが、漫画が好きだからこそ、漫画が漫画らしくあるために、その良さを存分に発揮できる、ふさわしい居場所(サブの立ち位置)は守らなくては、と思います。いいの。漫画は、これで、ここで、いーんです。

「所詮、マンガ。」
よく聞く言葉です。捉えようによっては腹立たしい言葉です。漫画だからって馬鹿にすんなよ!感動作も沢山あるんだぞ!と言いたくなります。
でも「所詮、マンガ。」だからこそ、表現の自由度は他のメディアに比べて高い。これが漫画の大きなアドバンテージです。けっこう際どいことを言っても「ま、でもマンガだから。」で許容される部分がある。限度はありますよ。でもその幅が大きい、そもそもは。

そう。
大き、かった、
はず、なんですねー。

いつから、でしょうかね。この極めて個人的な娯楽に対してまで、世間が表現の規制を求めるようになったのは。(ここでは18禁的なことは省きますよ。)

遡ると手塚治虫氏の鉄腕アトムも出始めの頃、学校PTAによって焚書(マジか。でもマジらしい。)の憂き目にあったらしいので、いまに始まったことではないのかもしれない。それにしても。

先日の『美味しんぼ』騒動は記憶に新しいし、その少し前には『はだしのゲン』が教育委員会の指示で学校図書から撤去されて話題になりました。
これは、どちらも作者が個人の目で見て感じたことを素直に忠実に表現したものです。『美味しんぼ』は震災後の2年間に渡る取材をもとに。『はだしのゲン』に至っては、広島で被爆した作者の実体験記です。
(以下少し『はだしのゲン』について語ります)原爆投下直後の惨状、やがて進駐軍が ヒロシマの町を支配していく様子、身を寄せ合い懸命に生きる被爆孤児たち、青年になったゲンが受ける被爆者差別…いまでも思い出せる。小学生の頃読んだきりなのに。衝撃とともに記憶に刻み込まれたらしい。暗い内容だから、と雑誌掲載時は人気(読者アンケート票)が取れなくて連載打ち切りの声もあったらしいけど、「人気どうこうではなく、いま世に出さねばならない作品である」とGOサインを出し続けた週刊少年ジャンプ編集部の気骨に、心からの賛辞を送りたい。お陰でわたしは戦後すぐのヒロシマの街と人々の様子を知ることが出来た。限界に置かれた人間の卑しさ、いやらしさ、温かさ、強かさを。
それが40年の歳月を経て、学校図書としてふさわしくないという理由で撤去されることになろう、とは。撤去しなければならないほど、あの作品に問題描写が沢山あると、私は思わない。そして、作者の中沢さんが悲惨な記憶に心をえぐられながらも一筆一筆、自身を傷付けるようにして描いて来たものを、安易に「悪影響」と言える人の気持ちがわからない。そんなん、私だったらよう言わんわ。

自身を振り返って考えてみるに、こどもは敏感だけど、大人 が思っているよりずっと、真実を見抜く力を持っていると思う。例えば人の首をはねるような残酷な描写がそこにあろうとも、それが何のために描かれているのかを読み取る力くらいある。あったよ私。見るに堪えないシーンも、ただ衝撃や一種の快楽を与えたいために描かれたのか、それとも描く側も痛みを伴ってしかしこれが見てきた真実であると訴えたくて描かれたのか。(作中の旧日本軍が行った一部の残虐行為については事実無根のものもあるようなので、そのあたりは時代背景を考えつつ配慮が必要と思う。)

以前にも絵本『かちかち山』のくだりで書いたけど、大人が子供に対してすべきことは、読むものを「制限」することではなく、同じ事柄について様々な視点から書かれたものを提示して「比較」させることじゃないかな。そうでなくても情報過多の現代、必要なものを取捨選択できる目を養うことはとても大切だと思います。
(それにしてもいやここまで書いておきながら何だけど、学級図書にマンガが置いてあること自体驚きなんですけどねー。。。何も読まんより漫画でもいいから本読んでくれた方がマシだけど。読書能力って習慣から身につくものだから。)


『美味しんぼ』騒動については、原作者自身が被害を受けた当事者ではないから『はだしのゲン』と立場は違いますが、実際に取材を通して得た情報を反映させたものです。(たとえ偏っていても、ある被災者個人にとっての事実であることに変わりはない)
それを発表する機会ごと奪ってしまうのはあまり賢いとは言えないなぁ、と思います。限りなく可能性は低いように今は思える、けれども、小さな真実の芽がそこにあるかもしれないのに。それはもっとずっと後にならないと、正しいかどうかの検証なんて出来ないのに。

このことによる風評被害を否定するつもりは毛頭ありません。被災者は声を上げて当然です。それは被害者側が上げていい抗議です。だから、世に出すなら出すで、出版社側の配慮が必要だと、はっきり言える。

でも、だからといって発禁処分にしていいのか?というと、それはちょっと違うと思うのです。
わたしの主張は基本的に強者の論理ですが、傷つく人がいるからといって、いちいち著作物を引っ込めていたら、訴えたもの勝ちです。それはそれで、みなし弱者に偏っていると思うのです。どちらもそこにある。それでいいじゃないかと。

上記のわたしの意見は、発表された媒体が新聞ではなくあくまでマンガであることを前提にしたものです。報道ではなく、あくまで娯楽性の強いマンガであり、基本はフィクションで、誇大表現の許される世界なのです。そして、美味しんぼの原作者の方は、今回だけでなく以前から、物事を大袈裟に表現しては度々問題になっていた。キッパリスッパリ言い過ぎてしまうせいで、各団体からの抗議も多かった。そのような作品です。だから読む側の私たちが、逆の意味で色眼鏡をかけて読まなければいけない。気をつけろ、これはあの『美味しんぼ』だぞ。鵜呑みにしていいかどうか、自分でよく考えなくては…てな風に。

たかが、マンガ。
所詮、マンガです。

原発事故のあと、原因不明の鼻血が出た。(←作中の、主に問題とされる表現箇所)原因不明だから、はっきり放射能の影響かどうかわからない。(科学的な根拠はないと専門の医師が言っている。)精神的ストレスによるものかもしれない。大多数の意見はこちら側です。

でも、事故後、急に鼻血がよく出るようになって、健康に不安を覚えている人がいる。このことは事実です。

福島県内の子どもに対する健康調査も続けられています。エリアごとに甲状腺がんの発生率を調べて、結果は都度公表されています。これは、調べる必要があるから調べている。いまは表に出てきた事象を集めている段階です。事実無根だからと一刀両断にできる段階ではないはず。感想ノートにも書きましたが、人は全知全能の神ではないのです。全知全能ではないから、そもそも原発事故が起こった。

美味しんぼと同じことを新聞報道でやってはいけません。てか、あんな個人的見解を公に事実として発表するような新聞社はありません。報道は一方的であってはならないからです。
でも逆に言えばこういうことこそ、マンガで描いて欲しいと思うのです。みんな、「所詮マンガだから、」と、眉唾ものとして扱ってくれるはずだから。それでも、少数かもしれないけど確かに、原発事故のあとの健康被害と不安を訴える人が存在した。科学的根拠は無いけれど、確かに存在した。このことが読者の記憶に残ればそれでいいと思うのです。真実か真実でないか。掲載、不掲載の論議も含めて、今回『美味しんぼ』の果たした役割は大きい。そう思います。

掲載はする。
表現者の立場は守る。
でも、判断は読者に委ねます。
これが今回、出版社側のとった対応です。

大事なのは「判断は読者に委ねます」。ここなんじゃないかな。
余談ですが、読み手側も、享受するだけじゃダメなんです。全部整えられて「はいどうぞ!」って差し出されたものを、何の疑いもなく食べてばかりじゃダメということです。そこに毒が入っているかもしれないのだから。

提供する側も人間です。
完璧を求め過ぎてもいけないし、信用し過ぎてもいけない。少なくとも、「疑う」余地をどこかに残しておかないと、と自戒を込めてそう思います。難しいですけどね。どうしても偏ります。自分にとって心地いい方を無意識に選択してしまうから。


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えー、文字数制限に引っ掛かりそうなので、ここで。長くなってごめんなさい。

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