◇東雲庵◇2014〜2017◇
雑談回。


午後7時。
だんだんと青灰色を強めていく景色をぼんやり眺めながら各駅停車の列車でのんびり帰途についております。6月最後の月曜日。
扉が開くたび、肌に吸い付くような湿気が流れ込んでくる。しっとり、ひんやり。
窓が淡く汗をかいて、海沿いの街道の灯りをやわらかくする。海産物屋さん、政党支部、子供の学習塾、家々の台所、自動販売機。明るい、強い、優しい、寂しい。それぞれの光に趣がある。玄関で家人の帰りを待つ灯もあれば、いつ来るかもわからぬ客をじっと孤独に待つ灯も。灯りもその目的によって色味や姿形が変わるわけで、考えてみればそれは当然のことなのだけどこの暗さの中だからよりそれぞれの性格が浮き立って見える。
人の絶えた青果市場の白い裸電球は孤独でちょっと厳しいような感じがする。照らし出される錆びた剥き出しの鉄骨がより「無骨なじいさん」感を醸し出すのかもしれない。でも、絶望的なほど孤独じゃないのは明日の朝またそこが人と食べ物で賑わうことを予感させるからだろうな。置き去りにされた青や黄色のカゴが殺風景に温もりのアクセント。
赤い点滅は踏切と救急車。都市圏なら高いビルの天辺でもピカピカしているだろうけれど(ここは田舎なので以下略)危険を知らせる点滅は目に刺さり、動物的直感でわたしに身体を硬くさせる。まだ新しいアパートの駐車場に停まっていた救急車。お子さんかな、お母さんかな、大事に至らないと良いのだけど。



なーんてことをつらつら書いていたら真っ暗闇が訪れました。とっぷり暮れた。東雲葵です、こんばんは!

前フリが長いですね。
前フリが長いといえば最近の『花燃ゆ』。主題歌とタイトルが流れるまでの前ドラマが15分もあるんですよ。それが気になるわたくしです。だって随分話が進んで盛り上がってきたところに「サラサララ〜♪」って流麗な主題歌流されても、、あの今更感。なんであのタイミングなのか。引きの長さで視聴率をなんとか獲得しようという作戦なのかもしれないけど、おーい!45分のドラマのうち前フリで1/3使ってますよー!

と、いうわけで雑談回です。

と、いうかいつも雑談しかしてませんが。

普通しか停まらないような小さなJR駅舎の蛍光灯の孤独感が好きです。

暗闇に浮かぶ新幹線の等間隔豆粒感が面白いです。角の丸い窓が一直線に並ぶと景色が途端に巨大なパソコン画面みたいに見えます。……。……。……。……。……。こんな感じね。新幹線、突然現れたけど延々と無言を主張ー!(だけどなんか言いたい)みたいな。

あ、もういいですか。(笑)
すみません、視界と脳内を連結させてダダ漏らしてみました。ついてこられなかった方、お詫びを申し上げます。

病院系の名前を告げるものは緑や青い光が多かったな。
「出口」の案内板は黄色地に黒い文字で書かれたものが多かった。
韓国系のキリスト教会は十字架を赤く光らせていたし。あれは良い悪いではなく、理屈抜きでちょっと怖い。、、と、感じた時点で成功しているんだろうな。

こういった看板の類を改めて並べてみると、色が人にもたらす視覚的効果を考えて作られているということを再確認します。

目的と、工夫と、効果を。
ええとつまり
はじまりと、経過と、結果、ということね。

わーほんと雑談ってゆーか独り言しか呟いてないわ、ごめんなさい。

人の作ったものって、それぞれどんな目的で、どんな効果を期待して、だからその姿で、世に産み出されたもの、なのか。その流れを想像して追うのが好きです。

例えばいまコーヒーを飲んでるドトールのロゴ、アルファベットの真ん中に白い余白があるのはデザインとしてコーヒー豆を連想させるからだろうし。

テーブル下、荷物置きの板が壁側に向かって斜めに深くなってるのは、テーブルと平行にするより荷物を取り出しやすいからだし。

色やデザインの裏側に、作った人の意図が見え隠れする。その瞬間がなんか好きなんですよね。こう、、、繋がった感じがして。



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