◇東雲庵◇2014〜2017◇
わくわく神戸


【慣れないことするもんで~タリス・スコラーズ】

 久しぶりにPCで作業したらうっかり「下書き箱を空にする」ボタンを触ってしまいました。。。ぐぉ……いいですね、こういうアナログな喪失感。(←せいいっぱいのつよがり笑) タリス・スコラーズ(“英国の至宝”とも呼ばれる声楽アンサンブル(少人数の合唱)グループ。主にルネサンス期の音楽を得意とする)演奏会について書いたものが全部消えました。あああおバカさんなり、わたしの右手ーーーー!! まぁいいか…書いたらある程度満足しちゃったし。気が向いたらどこかでまた感想を書くかもしれません。

 端的に言うと、“歌う”という「自分の身体から何かを発する」行為をする以上、音のどこかに「我」なり「意思」なりが滲んでしまうものだと思うのだけど(しかも何かしらメッセージのあるものを歌っているわけだし)、タリスの演奏にはそれが全く感じられなかった。全員が「わたしはただ音を出すためのひとつの管(全体のうちの1つ)です」然としていた。それってなんか色々超越してんな、すごいことだな、これこそ独唱の対極にある合唱の真髄だな、というお話でした。タリスは少人数だけど声の質がそろっていて、音の移動も力が抜けていて偏りがなく、本当に「10人でひとつの楽器」でした。木管楽器のような、風の通り道がある、温かく乾いた音色。あーすてきだった!
(わたし大学生の頃、放送部と兼部で聖歌隊にも所属していまして。今思い起こせば相当ひどかったと思います。アルトは私が引っ張ってくぜ!皆ついておいで!って気張ってばかりで。若気の至りとはいえ、猛烈に恥ずかしい。自信家は合唱に向かない気がする。曲にもよるんだろうけど。)
 
 …端的にと言いながら結局言いたいことは全て書いちゃったな。てへ。タリスについてはもう書きません(笑)。よし、データ削除したおかげでタリスの項目が短くなったぞ。災い転じて福と思い込もうそうしよう。きらきら。


【神戸のすてきな古本屋さん】

文化的偏差値の高い街にはすてきな古本屋さんが多い。

あんなマニアックな本達にもきちんと需要があるという不思議。

たとえば昭和2年発行の婦人雑誌(売価2000円)。現代の雑誌みたいに立派なものじゃない。ボロッボロの小さな冊子ですよ。誰が買うんですかこれ!?と言いつつ手にとって読んでみると「カボチャ栽培の推奨広告」(栄養豊富で沢山実が生る南瓜を家庭で育てましょうと政府が推奨する広告)や、家族全員分の服の作り方、食材の保存の仕方。「憧れの○○国大使御一家の生活」…現代では絶対お目にかかれない内容…。しかし要は「家事」に関するハウツーと「ワンランク上の生活覗いてみたい」的記事なわけで、ニーズ的には今とそう変わらないな…なんて思いながらついつい読み進めてしまう。面白い。止まらない。(笑)

そうなのです。
キャン様(前出。キャンデロロ)が出演される「ファンタジーオンアイス神戸公演」の一週間前。わたしはその地にいたのでした。ええと、友人結婚式のために。翌日、帰りの新幹線まで少し余裕があったので、六甲の坂を登ったり降りたりしながら古本屋さんを2軒巡ってきました。(結婚式用のヒール靴で…ぜい、ぜい、…)

田舎に住んでいるので、古本と言えばブック○フばかり。マンガや文庫本ならそこで足りるのですが、なんとなく「良いものないかな~」と訪れるにはちょっと物足りないんですよね。目的買いなら密林で済むし。「古書」と呼ばれるようなものが置いてあるのはやっぱり大都市の古書店なんですよねー。

阪急六甲とJR六甲道の間にある古本屋さんは、とにかく品揃えが豊富でした。そして、扱いが程よくぞんざい(笑)。壁面は全て床から天井まで棚で埋められて、音楽から演劇、生活実用、医学、哲学、文学、児童書、洋書…大雑把な分類で、年代もこれまた大雑把に様々並べられていた。で、びっくりしたのは店内の“中州”部分。大きく分けて島が3つあったんですけど、テーブルの上と下(床)に、びっしり平積みにされてるんです。一応、背表紙を客側に向けてはありましたけど。さながら本のタワーのようでした。いやー。ぞんざい!中原淳一さん表紙の『少女の友』(あおい垂涎の品)も、裸のままポイっと置かれてありました。えーその本もう紙の状態がヤバいんでできればこれ以上空気に触れないようにしてあげて欲しいんだけどーとわたし心の声。

そこは芸術分野、特に演劇関係の本がけっこう多かったような印象です。書き込みだらけの脚本(たぶん60~70年代)とか、ほんとにただのノートみたいな台本とか。あ、戦前に発行された小学校教諭のための舞台劇参考書もあった。当然ながら旧仮名遣い。挿絵はみな坊主頭。うーむ。

そんなカビ臭い本が多数を占める古書店なのに、店の外観が白壁で、さらに店内にはお子様用に無垢材のベンチが置いてあったりするのもなんか神戸らしいなって思いました。む、無駄にお洒落…(失礼)。いやでもだから入り易いので結果助かったんだけど。


そして2軒目の店で、わたしは足に根っこが生えてしまうのです。

そこは、マンションの1階部分に入る、小じんまりとした古本屋さんでした。
しかし…店内の、奥の壁一面が…激☆ヤバ☆でした。。入口付近に置いてあったムック本『全国名門私立女子校~制服から名物先生まで一挙紹介~(昭和57年発行)』を読みふけっていた私に、奥の方から「葵ちゃん!これこれ!葵ちゃん好きそう!」と夫がコレを持ってきたのです。

『まんが専門誌 ぱふ 特集:萩尾望都
      ~総力特集200ページ!~』
      (1980年12月号)

・・・あおい、その場で胸を撃ち抜かれる。
(良い夫を持った。)

その奥の一帯。
例えるなら「まんが博物館」のようなラインナップでした。
つげ義春全集とか。
石ノ森章太郎のかの有名な『ジュン』とか!
(しかも1969年の発行当時のもの!)すっげー!手に取れる!売ってる!これ漫画ヒストリー的な番組でしか見たことないのにーー!

その代わり、普通の漫画はほとんど置いてない。潔い。店主のその姿勢がすてき。

『ぱふ』の歴史は古く、前身となる雑誌は1974年創刊だそうだ。漫画を掲載するのではなく、描き手である漫画家や作品そのものについてあれこれ書かれた最初の情報誌なのではないかしら。違っていたらごめんなさい。キャラクター解説や批評、コラムなどが載っています。私はぱふの名前は知っていたけれど実際手にした事はなかったのですごく興奮してしまった。(わたしが漫画好きだった91〜93年頃主に購読していたのは『ファンロード』という、どちらかと言えば描き手に寄った雑誌であったし、その頃漫画と言えばアニメの方が強かったので主流はアニメージュとかアニメディアでした。)

さて、ぱふ。
ぱふ、ですよ!
この力抜ける感じいいわー(笑)

伝わってくるのは、80年当時の萩尾望都の評価です。『トーマの心臓』『ポーの一族』を書き終え、『メッシュ』連載中の。ちょっと雰囲気変わった、と言われてます。でもみんなトーマとポーに関してはかなり熱くて。トーマはシュロッターベッツの見取り図から始まり、ポーなんか出来事別の年表載ってましたよ。
それから、橋本治さんが望都作品についてコラム3つか4つ書いててビビった。私にとって橋本さんは『広告批評』の冒頭コラムを書いてた言葉センスのいいおじいさま、なんですが、、『ぱふ』に寄稿するような方だったんですね。その橋本治さんの萩尾望都論には愛が溢れまくっていた。(ちなみにトーマの心臓を読み解く公式は「2+1-1=2」だそうです。トーマ、ユーリ、オスカー。またはトーマ、ユーリ、エーリク。どちらも当てはまるとのこと。どちらにせよ-1はトーマ。)

熱い、、みんなが熱い、、、
笑ったのは「萩尾望都なんでも十傑」。キスシーンベスト10!とか、名前の長いキャラクターベスト10!とか、なぐったりなぐられたりベスト10!とかもう何だその強引な10傑(笑)

山岸涼子特集のも1冊買いましたがこれは81年のもの。『アラベスク』の後、『日出処の天子』連載中の世間の反応。毛人と王子がドロドロし始める前、政権闘争が主の時期で、今後面白くなりそうだぞ!って期待感に満ちていました。

お二人とも、私の中では“古典”に分類されている作家さん達で(例えるなら音楽室のバッハやベートーベンのような。楽聖ならぬ漫聖?)萩尾さんや山岸さんって一段高いところに鎮座しておられるんですけど、、、フレッシュでしたねー。「なんか新しいっ!すごいっ!」という、当時かなりセンセーショナルな存在だったことも窺い知れますし、なにより読者投稿欄が熱い(笑)。前号で○○さんはこの作品についてこんな事をおっしゃってましたが、私は真っ向から反論します!みたいなのが結構…現代で言うなら「炎上」かしら。

結局そこで入手したのは萩尾&山岸両氏の2冊だったのですが、夏にまた神戸へ行くので再訪してみたいと思います。松本零士特集、とか大島弓子、水野英子?とかくらもちふさこ、とか、、ラインナップ豊かだったのです。選べなかった。

ぱふのコラムで「期待の新人」に高橋留美子の名前が挙げられていたのが一番の驚きだったかもしれません。

高橋留美子が
新人の時代なのか、、、って。

長々と失礼しました。

ちゃん。



< 27 / 81 >

この作品をシェア

pagetop