羽の音に、ぼくは瞳をふせる

諏訪湖へ1-4


< 諏訪湖へ>1-4


羽音・・そう書いて・・
はのん・・・

氷の入ったグラスから水滴が落ち
木のテーブルに溜まる度に

オレは、その水で HANON

そう書いていた
その水はすぐ互いに吸い寄せられるように
ひとつの水溜まりになってゆく

けれど何度も書いていると
大きな文字にすることが出来た


羽音に会いたくて
連絡しても

いつも携帯は留守番メッセージになったし
メールも返って来るのも、
そっけないものが多かった

< 今、いそがしいの またね


そんな連続で
もしかしたら・・
もう会ってくれないのかな?
そう想い始めると

時間を突然指定されて
呼び出される

もう電車もバスも走っていない時間
オレはマウンテンバイクに乗ると
よく、羽音が気に入っているという
深夜営業もしている
ジャズの音楽がかけられているCAFEへと
呼び出されていた


「 なんで翔くんは・・
いつも起きてるの?

この場所にくるのもビックリする
くらいの速さなんだけど?」


オレはテーブルに置かれた
メニューを見ながら
ただ笑顔で羽音の言葉を聞いていた

そんなの・・羽音に会いたいからだって
まだ軽はずみには言えないほどの
2人の距離に

もうひとつ踏み込めない自分がいる

羽音が通信大学に通っているのは
学費だけの為ではなかったと
しばらくしてから聞かされた

彼女には5つ年の離れた兄がいて
幼少の頃から肺を患っており
長期の入院を繰り返していた

それを幼い頃、
羽音の父が失くなってから
母と共に家計をそして
入院費をおぎなう為に
ずっと共に支えてきたんだ

だから、きっとオレなんて
彼女の目から見れば
・・そう・・なんて

世間知らずに映ったんだろう
今になると、そう想う

彼女は人より好奇心が多く
なんでも自分から動くことを知っていた

最初は確かに、その姿にオレは魅入り
恋をしていた
けれど、知れば知るほど彼女をもっと
知りたい
いや・・その姿でなくとも
その心を宿すきみなら……
好きになっていただろう


オレは夜な夜な、彼女に呼び出されては
一生懸命・・自転車をこぎ

その場所へと駆けつけた
なぜって・・・彼女がオレを呼ぶ時は
何か意味があったような気がしたからだ


「 どうしたの・・?なにかあった?」


その言葉に・・・あのね・・って
言葉が続いた事はない

ただ、
寂しげに嬉しそうな表情を浮べるだけ
羽の音が聞こえて
オレをきみの場所へと呼び寄せる
ただ、それだけで満足だったんだ

そんな生活の中で
オレは親からの仕送りを受けていたけれど

学業と兼業しながら
少しでも羽音を支えられたら、そう想い
バイトを始めた

そこは郵便物の仕分けを請け負う子会社で
大きな配送物がラップのように
巻かれた形になり
届くと傷がつかないように
そっと開封し中の荷物を出しては

各部署へと仕分けする
その為に小型クレーンの資格もとった

その合間に大切な授業に出て
時には羽音がオレの受ける授業に来ては
隣で眠っている
そんな日も、友人からも冷やかされたけど
暖かな陽射しの中

隣で眠る・・その姿を見るだけでも
オレは価値があると想っていた
ただ・・
疲れ果てた彼女の少しでも休息の場所に
なれればとそう考えていたから

そんな、どの位置でもない
2人の関係が続いた、ある日

羽音から珍しく朝から電話があった


「 もし・・誰かから車を借りれたらで・・
良いんだけど・・無理かな?」


オレに頼みごとをすることのない
彼女だけに
オレはバイト先の先輩が
彼女と急なデート時には必ず
代わって入るという条件付きで
古い年代物の車を借り

彼女が住むというアパートまで迎えにゆく


「 ごめんね・・誰も頼める人がいなくて」

いつもは勝気な彼女だけに
何か・・理由があることは分ったけれど
それは彼女の兄が入院するベッドの寝具を
運ぶ為だった


「 あそこの布団は固くて
長い間・・風邪をこじらせたりすると

すごく背中が痛くなるらしいの
兄はなにも言わないけれど・・時々
身体を拭く時に・・
見えるむらさき色に変色した

その肌をみると・・ね・・」


オレはひとこと ・・・うん・・
そう言って、彼女とその母親が用意した
布団を後部座席に乗せると彼女を助手席に
乗せて走り出した


本来なら初めてのドライブ
けれど・・今回は用事があればこその
ドライブだ・・

でも、オレは彼女がオレを
頼ってくれるのが嬉しかったし、
必要としてくれるのが嬉しかった

東京から車を2時間ほど走らせる

病院の場所は長野県の諏訪湖近くにある
肺疾患の患者が保養所だった

羽音も、その母親も
面会へ行くのは仕事の合間をぬって互いに
1.2ヶ月に一度ほど・・いつもは電車で
2時間半ほどの距離を乗り継いで
行くのだと

病院から上諏訪駅までは
徒歩で20分だったが
今回のように大きな荷物を運ぶとなると
同じほどの距離でも・・
車がなければ難しく
母も仕事が休めなかった為に

オレを頼ってくれたらしい

静かな湖畔の側に
その小さな保養所は建っていて


都内からも
結核や肺疾患のある療養者が
昔は多く訪れたらしい

しばらく中央自動車道から諏訪ICに向かい
走り続け国道20号線に入る頃には

視界の先に諏訪湖が見え始める
天気が良くて

オレたちは近くの公園に車を停めると
病院まではもう、さほど距離はないからと

羽音は作ってきたサンドイッチと温かなコーヒーを
オレに入れてくれた


「 お疲れ様、
ありがとう疲れたでしょ?」


「 ううん、喋ってたら案外早かったし・・それに」


「 それに?」


「 ・・・ううん、なんでもない」


嬉しかった、オレを頼ってくれて
そしてこんな太陽の下で会えるのが
嬉しくて
オレは疲れも忘れて

出されたサンドイッチとコーヒーを
口に入れた
風はまだ冷たさもなく
10月の気候はとても良くて

羽音の髪が、湖から流れる
爽やかな風に舞うたびに
ここでこうして共に過ごす時間に

時間が止まって欲しい
そう願っていた
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