羽の音に、ぼくは瞳をふせる

療養所1-5

< 療養所>1-5


「 どうしたの?」

きみの横顔をみていたから・・
そんなことは決して言えなくて


「 はのん・・」


「 ・・・ん?」

「 初めてじゃない?
わたしのこと名前で呼んだの?

いつも・・なぁ・・・とか
あのさ・・みたいなのに」


その全てを・・知っているような
眼差しにオレは何も言えなくて


首をふると
丘の下に見える・・諏訪湖へと視線を移した
湖畔は太陽のうけ


まるで・・ひとつひとつの波が
生きているような小さな、しぶきをあげる


もう一度、羽音を見れば
何も言わず・・微笑んでくれた

ただ・・いや・・オレは彼女の名前を
呼んで振り向かせてみたいと


「 あのさ・・オレも・・
羽音って・・呼んでもいい?」

彼女はどんぐりのような深い
瞳で不思議そうに見つめると


「 誰が・・・他に、呼んでるの?」

オレを試すように笑う
確かに・・・誰かが呼んでいて
だから・・オレも呼んでいい?

そう聞こえるよな・・
困ってしまったオレは
頭の後ろをかくと一気にコーヒーを
飲み込んだ


「 いいよ・・呼んでも
ここまで連れてきてもらったし

お礼に呼ばせてあげるよ・・」


表情をみれば
凄く自慢げな横顔でオレを見ないまま
そう言葉にした


「 羽音・・・」


「 なに?」


「 羽音っ 」 大声で叫ぶ


「 なに?やめてよ!」


「 は の ん !!!」

「 ばかっ、何・・言ってんの
本当にバカ・・・」


そう言って2人で大笑いした

その時は
それほどまでに嬉しくて
世界がオレに味方してくれたような
そんな気持ち・・だったんだ


「 これから、そんな大声で叫んだら・・

二度と呼ばせないから
羽音さまって呼んでもらうからねっ?」


「 ・・いや・・それでも良いよ?」


「 ほんとうに・・バカ 」


だって・・

オレは羽音に夢中で・・
一緒にいる時間が幸せでたまらなかったんだ


・・・・・・

それから荷物を片付けると
羽音の兄が入院している
その療養施設に向かった


『 諏訪の里 』


その施設は白く
概観は小さな病院にしか見えなかったけど
施設の前に、かかげられていた名前は
そんな名前で

もっと・・暗いイメージを持っていたが
そこは凄く清涼感があり
太陽の光が射しこむ

とてもステキな場所で

オレは歩きなれた羽音の後ろを
大きな布団を包んだ袋を持ち

羽音の足音だけを頼りに歩いてゆく


「 翔くん・・・こっちだよ・・」


途中で何回も呼び止められる度
方向を治して着いて行った

基本的には患者の混むような
季節、たとえば真冬の肺炎や喘息が悪化する
そんな時期には集団部屋になることも
ありるらしいが


多くの場合は
個室が割り当てられている


彼らは療養しているのであって
患者ではないからだ


呼ばれた部屋につくと
羽音の声よりも先に

「 よく・・きたね、ありがとう」

とても印象の良い声が聞こえた
布団を指定された場所へ置き

やっと、その人を見れば
その瞳に羽音が重なった

オレは膝に顔がつくほど
大きなお辞儀をすると


「 翔です!羽音さんと一応、
おなじ・・・そう同じ大学に通っています」


そう緊張しながら
大きな声をあげた

隣で羽音が


「 もう・・バカじゃないの?」


そう呆れて言ったけれど
しばらくすると

頭をさげたままのオレの頭に
大きな手が降りて来て


「 翔くん・・ここまで来てくれて
羽音を連れて来てくれて・・ありがとう」


そう優しい声でオレを迎えてくれた
オレは羽音と知り合ったことで
人生が想像していたよりも
生きていくことが、どんなに大変なのかを知る


なぜなら、その人は
とても辛い道を歩んできたのに
誰よりも優しい表情をしていたからだ

それは本当に
痛みを知った人にしか
きっと出来ない笑顔で


オレにはきっと一生・・無理かもしれない
そんな笑顔だった

羽音の兄は そう
奏でた音楽が羽のように音色になる

両親はこの兄妹に
とてもよく似合う名前をつけたんだ

オレは、きっと2人だけの話もあると
奏さんに挨拶すると

病室を後にし
湖畔に隣接する道を歩く

きっとまだオレの知らない羽音が
沢山いて・・そして・・これから
知っていく羽音がいるんだ

この先がずっと長く
途切れることが無いのなら
オレは・・出来れば羽音を支えたい

陽は高く、まだ夏の暑さを残しながらも
ふとした時に

頬を通り過ぎる風は
秋を予感させる

今、見ている景色も
きっと夏景色から、きっと姿を変えるだろう

オレは・・オレが出来るなら
羽音とここに何度でも訪れたいと想う

まだ・・好きだと言わなくても良い
羽音がいつか

オレしか・・駄目だって
そう想ってくれたら・・それで・・

良いんだ・・・
< 5 / 14 >

この作品をシェア

pagetop