小さな愛
 卒業式はあっという間に終わった。一応、サークルに所属していたアサミは夜の飲み会に参加することにした。骨折を友達に心配されたが、笑顔で返しといた。最後となるキャンパスを見て回りたい、と友達の輪から外れたアサミは、自分が好きな二〇五号室にいた。側面がガラス張りになっていて、中から噴水が見える。講義が静かな時は、噴水のリズミカルで均一な音が耳に心地よく、癒された記憶がある。 
「最後か」
 と、記憶をも吐き出すようにつぶやき。教壇の前の一輪の花に目がとまった。思わず、「えっ」と声にならない声を出したアサミは早足で一輪の花の元に向かった。手に取り、「セントポーリア」とはっきりと、アサミは声に出した。
 すると、「卒業おめでとうございます」
 アサミの背後から声がした。彼女は振り向き、目を見開いた。
「あなたは、あの時の」
「覚えていてくれて嬉しいです」
 男は口角を上げ、白い歯をこぼした。綿毛のようなふわりとした髪、柔和な目。それに適した白シャツは自分が似合う所作動作を熟知しているようにアサミに見え、胸の鼓動が早くなる。
「同じ大学だったの?」
「そうです」と男は伏し目がちになり、「僕は奥手で、アサミさんに声を掛けることもできず、遠くから見ることしかできませんでした。でも、あの日」と男は顔を上げた。
 そう、アサミが骨折をしたあの日、すぐに駆けつけ救急車を手配してくれたのが目の前の男だった。お礼を言おうと思ったが、男は既に姿を消していた。
「あの日、アサミさんの肩に触れたとき、気づきました。いや、遠くから見ていてもわかりました」
 男は一歩、一歩、アサミの方に向かってくる。男に支えられたことは人生ではなかった。彼氏、という単語は自分には縁がないと思った。それは勝手に自分で一本の線を引いていたがため。
「な、なにを?」
 アサミは動揺を隠しつつも馴れないシチュエーションに声が震えた。
「寂しそうな肩だった。小さい肩だった。僕自身も小さい愛に気づいた。それが二十五本目です」と男はアサミが手に持っているセントポーリアの花を指差し、「セントポーリアの花言葉は『小さな愛』僕は、それでも、大きな愛にしたい」とアサミを引き寄せた。
 なすがままになったアサミはギブスで固定されている腕に適度な痛みが発したが、徐々に気づかなくなった。アサミと男の視線が交錯し、数秒の間と共に、互いの唇が連動しあい、男の両手がアサミの背中を柔らかく包み込む。アサミは別空間にいるような錯覚に陥り、夢見心地のまま、再度、男と視線が合う。
「名前は?」
 とアサミ。
 男はアサミの耳たぶに舌先を触れ、囁くように名乗った。
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